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2022/05/28

・この当時、離婚に関してさまざまな考えがありました。申命記24章1~4節には、離婚についての定めがあり、そこには、「何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる」と記されています。この「恥ずべきこと、気に入らないこと」とは何かが...

・この当時、離婚に関してさまざまな考えがありました。申命記24章1~4節には、離婚についての定めがあり、そこには、「何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる」と記されています。この「恥ずべきこと、気に入らないこと」とは何かが、当時の人々の議論の的でした。厳格に「姦通などの不品行だけが離縁の唯一の条件」と考えるシャンマイ派。「妻が夫の夕食を忘れていたような場合でも離縁の条件になる」とするヒレル派。「妻よりも美しい人が現れれば、それも離縁の条件になる」と考えたアキバ派まで、さまざまな立場がありました。 ・私は、主イエスに従って生きることの報いというのは死んでから与えられるというものではなく、今、この瞬間にすでに与えられているのだと思います。永遠の命というのも、やがて与えられるというよりは、主イエスにつながっていることそのものなのです。だから、「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」ことがあっても、それでよいと喜んで思えるのです。いつキリストに従うのか。今、キリストに向き合っているならば、今、招かれていることに気づくべきでしょう。洗礼を受けたらそれで終わり、ということでもありません。私たちはクリスチャンになった後も、しばしばみ心に背いて生きているものです。そこでいつも新しく、招きに応えて生きる決心をするのです。今が、その時です。

Posted byブクログ