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We Can't Go Home Again の商品レビュー

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2013/07/12

 We can't go home again. 私たちはもう二度と故郷には帰れない──息せき切って逆上した画面にこの文字が現れる。そして、A Film by us「私たちによるフィルム」というサブタイトルが続けて現れたとき、ニコラス・レイがすでにハリウッドのスタジオ・...

 We can't go home again. 私たちはもう二度と故郷には帰れない──息せき切って逆上した画面にこの文字が現れる。そして、A Film by us「私たちによるフィルム」というサブタイトルが続けて現れたとき、ニコラス・レイがすでにハリウッドのスタジオ・システムから遠く離れ、ゴダールの側に、あるいはゴダールが1968年から72年にかけて匿名的な集団映画製作をめざした「ジガ・ヴェルトフ集団」の側にいることを、見る者に濃厚に意識づける。  観客にサスペンスとインパクトを与えるために一時的にマルチ画面を採用する作品は数多いが、全編を通してマルチ画面で貫かれている作品というのは珍しい。しかも各画面で展開されるシークエンスは、たがいに関連し合いながらも離反し、観客の視聴能力の限界を無視している。混濁し、停滞し、反復し、矛盾する。はっきり言えば、兇暴なる未熟さを宿した本作を見ていると胸くそが悪くなる。そして、これほど胸くそ悪くさせるこの映画の作者たちに脅威と狼狽を感じはじめるのだ。  これは、この映画が本質的に〈進行中〉の映画であり、完成品としてスクリーンに映写されながらなおも、観客の当惑と狼狽を貪欲に食べて改訂を試みているかのような映画であるためである。観客は本作から他の映画とは似ても似つかぬ、のっぴきならぬ現在形の痛みを受け取る。と同時に観客は、本作にみずからのエモーションを差し出し、食らいつかれているのだ。まさに、フランシス・ベーコン的な映画体験だ。  それと、劇場窓口以外でも販売の始まったパンフレットがマスト・バイである。宮一紀のデザインによる、消失せんとする文字のられつが夜の闇に揺れる素晴らしい表紙の『ニコラス・レイ読本 We Can't Go Home Again』(土田環編 boid刊)。巻末のページを飾る青山真治のエッセー「酔っぱらい監督列伝 ニコラス・レイ、そして……」の、書かれている内容の哀切と孤独、苦悶に比して、奇妙なまでに平静な筆致が、逆に同業の大先輩に対する激烈なオマージュとして読み手の目に突き刺さる(そしてこのエッセーも、レイの映画同様の、改訂可能な作品なのだ……)。

Posted byブクログ