岡田啓介回顧録 改版 の商品レビュー
2.26における暗殺未遂事件、東条英樹との確執、ロンドン軍縮会議時の対応等、当時の状況を“赤裸々”に語っているところに歴史的価値がある。 岡田啓介は国を思っていたのだと思う。 原爆投下が最たるものだが、日本の国土が焦土化し、多くの国民が亡くなる状況に自らの心身が傷つくような思い...
2.26における暗殺未遂事件、東条英樹との確執、ロンドン軍縮会議時の対応等、当時の状況を“赤裸々”に語っているところに歴史的価値がある。 岡田啓介は国を思っていたのだと思う。 原爆投下が最たるものだが、日本の国土が焦土化し、多くの国民が亡くなる状況に自らの心身が傷つくような思いがあった。 岡田啓介については、残念ながら、教科書上は登場が少ないが、戦争を止める(敗戦に導く)、ということに対して大きな影響力を与えていた。 暗殺未遂にもかかわらず、その原動力となっていた思いは、「国民あっての国家、生活あっての国民」ということなのだろう。 以下抜粋~ ・昭和9年ロンドンで予備交渉がひらかれるので、その全権としてえらんだのが山本五十六だった。 山本はまだ少将で、少将であるにかかわらず、全権の使命を託すような人物はほかにいないといわれるほどの秀才だった。 ・こういった農村の苦しみは、直接ではないにしても二・二六事件の原因になっていると思う。 東北出身の兵隊は、優秀だった。東北に限ったことはないが、軍を構成しているものは農村青年であり、その農村が疲弊しては軍隊は強くならん。そういったことが若い将校の革命思想をつくることに影響したようだ。 ・米内にくらべると近衛(文麿)は、政治家としてはよっぽどいい加減な人だったと思う。 こんなことはすこし危ういが、というようなことを、まあどうにかなるだろうというところでやってしまう。 ・陛下も、開戦のことをお知りになったのは、十二月八日だろうと思う。わたしらとほとんど同じだよ。その前の二日に、詔勅にはご署名になったと思うが、詔勅は以前からのしきたりで、あらかじめ御署名をいただいておくことになっている。 ・弁解するわけではないが、開戦前に非常に力のつよい政治家がいて、軍を押さえつけようとしたら、軍は天皇の廃位さえ考えたかもしれない。そうなったら国は真っ二つになる。今敗れながらも一つにまとまった国であるのは、せめてものことだ。 ・国民あっての国家であり、生活があっての国民なんだ。それを思うと、いうべき言葉もなかった。 ・岡田大将が何よりも恐れたのは、ロンドン会議決裂の場合に生ずる「政府対海軍の戦闘」であった。ここに彼の精力的な調停工作が始まる。 ・ロンドン条約をめぐる紛争は、その後の日本海軍にいかなる影響を与えたのであろうか。 ①明治健軍以来の海軍の伝統的結束が破れて、部内にいわゆる艦隊派と条約派との反目が生じたこと。 ②従来の伝統を破って、軍政に対する軍令の優位が確立されたこと。(軍令部長は軍令部総長と改称された) ③本来合理主義をモットーにしてきた日本海軍の内部、とくに軍令部系や艦隊勤務の青年将校の間に強烈な反米感情を鬱積させ、また一種の精神主義を浸透させていった。(軍艦に対する造船学の常識を超えた過重武装の要求) ・吉田茂は、「岡田大将は、狸である。狸も狸、大狸だ。しかし、あの狸は、わたしたち以上、国を思う狸である」と言ったといわれている。
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二二六事件の描写が生々しい。クーデターとはいえ、他国のそれのように憎悪に満ちているわけではなく、各々が高潔と信じる志に基づいて行ったのだろうということが伺い知れる。
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