自由という牢獄 の商品レビュー
http://lib.s.kaiyodai.ac.jp/opac/opac_details.cgi?amode=11&bibid=TB10072965
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文章はそんなに難解な印象はないのに、なかなか理解が追いつかないのはやっぱり僕の問題だろうなぁ・・・。要約するのは難しいけど、自由が拡大していくことで生まれる不自由みたいなことなのかも。特に第四章についてはその印象が強い。
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何物にも囚われない自由とはなんであろう。 特殊な公共体の利害やそれに関する立場に囚われず自ら自分自身の悟性を用いることである。それは理性の公共的使用であり世界市民という存在となる。特殊な公共体の利害やそれに関する立場に囚われてあることを理性の私的使用といっている。自らの利害や...
何物にも囚われない自由とはなんであろう。 特殊な公共体の利害やそれに関する立場に囚われず自ら自分自身の悟性を用いることである。それは理性の公共的使用であり世界市民という存在となる。特殊な公共体の利害やそれに関する立場に囚われてあることを理性の私的使用といっている。自らの利害や立場もそれに囚われていれば自分自身が理性の私的使用である。 では自らの自分自身の悟性を用いるとはどういうことか?それは自己省察から帰納することである。自ら自身の悟性を用いる勇気を持てとは自己省察から帰納する勇気を持てということである。 最も私的な自己省察から最も公共的な世界市民はありえるというなかなか明快で面白い指摘だった。 人間の倫理や遊侠は高級なものであるが、それが商品化された途端に低級なものに変質してしまう理由が書いてあった。目的(遊侠と倫理)があり手段(貨幣)がある。高級な行為または高級な労働(遊侠と倫理)が商品化された途端に手段(貨幣)に目的が服従する転倒が起こるという。それによって高級なものとしてある遊侠や倫理は低級なものへ転落する。資本主義における陥穽であるという。 人間自体にも言える。労働として輝きがあっても、それが商品化された途端にくだらないものへ堕ちてしまう。労働力の商品化とは資本主義のことであるがそれを乗り越えなければ社会主義の理想のようなものへは決していたらないだろう。 宇野弘蔵は社会主義とは労働力の商品化の廃絶のことだと言っていたが現在の世界も同じ課題を持っている。
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