1,800円以上の注文で送料無料

シャーロック・ホームズの世紀末 増補新版 の商品レビュー

5

1件のお客様レビュー

  1. 5つ

    1

  2. 4つ

    0

  3. 3つ

    0

  4. 2つ

    0

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2020/05/14

シャーロック・ホームズの生みの親であるコナン・ドイルは、医師から小説家へ、そのなかでも推理作家から冒険作家へ、そして遂には心霊主義を広める活動家へと、生涯を通じてさまざまな分野に手を伸ばした。多様な面を持つドイルという人物を通じて、ヴィクトリア朝後期のイギリス社会に迫る。 「...

シャーロック・ホームズの生みの親であるコナン・ドイルは、医師から小説家へ、そのなかでも推理作家から冒険作家へ、そして遂には心霊主義を広める活動家へと、生涯を通じてさまざまな分野に手を伸ばした。多様な面を持つドイルという人物を通じて、ヴィクトリア朝後期のイギリス社会に迫る。 「ドイルは決して理解しがたいほどに複雑な人間ではない。決してそうした人物ではないのだが、互いに矛盾してしまうはずの行動に取り組むときにも、その矛盾に気づくこともなく、それぞれに誠実に取り組んでしまうその一徹さが、われわれをたじろがせるのである」本書が提示するドイル観はこの一文に集約される。 殺人医学や犯罪心理学に強い関心を持ちながら、ボクシングをはじめとするスポーツに熱狂し、アフリカの民を虐待する列強国に義憤を示しながら、戦争を称揚する。こうしたドイルの人物像を筆者は「偉大なる凡人」と呼び、その根っこにあるものを「フェア・プレイの精神」と定義している。コンゴの民の手を切り落としたベルギー政府を告発したのも、エイダルジ事件の裁判に異議申し立てをしたのもこの「フェア・プレイの精神」ゆえだが、同時に「彼のフェア・プレイは強者の恣意を許容する範囲のもの」であり、だからこそドイルは国民に愛される紳士のまま世を去ることができたのだ。 本書には、ドイルとの比較対象として印象深い人物が二人出てくる。一人はロジャー・ケイスメント。彼は外交官としてコンゴの現地調査を行い、その後もコロンビアでのゴム採集における欧米の暴虐行為を告発するなどしてナイトの称号を得たが、外交官辞任後、自身のルーツであるアイルランドの独立活動に参加し、ロンドンで絞首刑になったという人物である。私はこの本で彼のことを初めて知り、ショックを受けた。ドイルは同じくアイルランド系なのもあり、ケイスメントとは親しかった。彼の刑が決定した際は、チェスタトンらと共に減刑の嘆願書を出したというのだが、その内容はケイスメントの発狂を疑い、刑事責任能力を問うというものであり、筆者は「完全な善意から出た言葉が、これほどおぞましい響きを持つことがあるのだ」とコメントしているが、同意せずにはおれない。ドイルにとっての良識とは、イングランド(=強者)内で許される範囲に収まるものを指しており、そこをはみ出すことはなかった。 二人目の比較対象として召喚されたのは、ドイルの心霊主義傾倒と同時代に活動していた神智学者、アニー・ベサント。彼女は元々無神論者として活動を始め、一度は社会主義者となったものの、ブラヴァツキー夫人との出会いをきっかけに神智学の道へ進み、神智学協会の二代目会長となった。彼女は無神論者時代にカトリシズムの教えに反して避妊を推奨し、避妊具の使用法を記したパンフレットを配布したり、男性の独身時代が長引くと娼婦が増加すると指摘したりというフェミニスト的な活動をおこなっていた。世間を鼻白ませた彼女と比べれば、ドイルのスピリチュアリズムもまた良識の範囲内だったと言えるだろう。 筆者はホームズおよびドイルの神格化と、これまでの十九世紀研究の耽美主義的な傾向を強く批判する。この目線が、『アーサーとジョージ』(2019/1/21 読了)を書いたジュリアン・バーンズと共通している、というよりバーンズよりも辛辣に、たとえばドイルの差別意識などに鋭く切り込んでいる。ホームズ作品には今の目で見るとギョッとするような人種差別や性差別が溢れている。もちろんそれは彼の時代の紳士たちの共通認識でもあったのだが、同時に彼が強者側の築いた〈常識〉に疑問を持つような人間ではなかったことを暴いてもいるのである。 しかし、筆者はただ辛辣なだけではない。「〈誠実〉な愛国主義者」だったドイルだが、「健康であること、強靭であることを愛し、スポーツと戦争と愛国主義に肩入れした彼をなおかつ弱者の排除という方向から救ったのは、他でもない、スピリチュアリズムへの〈誠実な盲従〉であった」という結びの一文にはハッとした。その背後には、精神病棟で亡くなった父チャールズへの複雑な思いがあったのではないかと思う。そして大戦による息子たちの死。スピリチュアリズムは第一次大戦を経て、第二次大戦へと向かう世界のなかで、彼が手にした最後の「楽観主義」だったのだろう、と結論づける富山の「偉大なる凡人」という呼び名には、時代に翻弄され、弱くあることを許されなかった〈英国紳士〉に対する憐れみがたしかに感じられる。帝国主義が形作った一人の人間、それもアイルランドの血を引きながら、アイルランド蜂起を間近に見てもイングランドのナイトであり続けた男として、ルイス・キャロルより余程コナン・ドイルのほうが世紀末的な男だったと、これからは考えることだろう。

Posted byブクログ