太平記の世界 の商品レビュー
「太平記」の世界である南北朝時代。 動乱の時代を闊歩した人物たちの生き様を探る。 序の章 内乱の諸相 一の章 護摩を焚く天皇・ご醍醐 二の章 足利尊氏の叛旗 三の章 悪党兵衛尉正成 四の章 内乱の黒幕・疎石 五の章 ばさら大名・道誉 六の章 “日本国王”源義満 七の章 内...
「太平記」の世界である南北朝時代。 動乱の時代を闊歩した人物たちの生き様を探る。 序の章 内乱の諸相 一の章 護摩を焚く天皇・ご醍醐 二の章 足利尊氏の叛旗 三の章 悪党兵衛尉正成 四の章 内乱の黒幕・疎石 五の章 ばさら大名・道誉 六の章 “日本国王”源義満 七の章 内乱と情報 補の章 足利一族の経済基盤 南北朝内乱略年表、参考文献、初出一覧、あとがき 『太平記の世界 列島の内乱史』を読む 樋口州男 権謀術数にたけ、行動的だった、専制君主の後醍醐天皇。 だがその眼差しは公家社会にあり、民衆や武士の動向や 時代の変遷には理解が至らなかった。 幕府からの無理な出陣要請は要因となり、離反した足利尊氏。 共に鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐天皇からも離反。 室町幕府の創建に。だが勝利と敗北の繰り返しは、 幕府内と身内の内訌でも、変わらず。 悪党の面をも持つ河内の土豪、楠木正成。 護良親王とタッグを組んで六波羅軍を翻弄する。 だが、建武政権の中での栄誉は、陰りに転じてゆく。 「いやしき正成」の進言は受け入れられず、悲劇に。 夢窓疎石は夢窓派の始祖。北条高時、後醍醐天皇から鞍替え、 足利家に取り入り、和睦の周旋や調停に手を貸す。 聖俗両界の教導者として君臨し、自派を全国へ。 その生き様が“バサラ”な佐々木道誉。尊氏との密接な関係は 義詮とも同様に。策士であり幕府内に隠然たる勢力を形成。 諸文学や諸芸等のプロデュースも豪快。 足利将軍三代目の義満。有力守護勢力の削減や南北朝合一の 陰には権謀術数有り。明との外交と貿易、倭寇の禁圧。 軍事・外交権の掌握等、将軍権力の強化を進めるが、急逝。 以上は「太平記」を読むにあたっての参考になりましたが、 七の章での、悪党VS.農民や悪党の構成メンバー、 二条河原落書、時衆僧の存在と行動、 元寇以降の禅僧の中国渡来、倭寇とその対策。 補の章での、下総国足利荘の成立過程と管理の変遷。 これらがなかなか興味深い内容でした。 全国各地に足利氏の所領が点在することによって、 それらの場所からの情報蒐集と正確な分析が出来たことが、 尊氏の行動の指針となったようだと、繰り返し語られています。 それにしても、あらゆる人々を巻き込んだ内乱であると いうことがひしひしと感じられてしまう。 でも、その終焉はまだ。更に応仁の乱があるんだよね~。
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1ページに同名の人物が複数出てくるのに(佐々木道誉(高氏)と足利高氏(尊氏))、あえて両方高氏と表記して苗字をつけず名前だけで記述するとか、わかりにくくてたまらん。
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情報収集に優れていたのが尊氏の勝因だったのだろうか。 民衆といっても武家が中心だけど、民衆が何を求めていたのかに合わせた施策を打ち出せたこと。これを尊氏最大の利点としている。 たしかに。 一方で民衆の支持を失った南朝に身を投じた正成は辛い。湊川の悲劇はその証左だったのだ。
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