五十嵐日記古書店の原風景 の商品レビュー
まだ戦後の気配が色濃く残る昭和28年。山形県からひとりの 青年が上京した。経済的な理由で大学への進学が出来なかっ たが、進学への希望を抱き、働きながら大学を目指すことが 出来ないか…と。 ふとしたきっかけで古書店街である神保町の南海堂に職を得た 青年こそ、後に早稲田で...
まだ戦後の気配が色濃く残る昭和28年。山形県からひとりの 青年が上京した。経済的な理由で大学への進学が出来なかっ たが、進学への希望を抱き、働きながら大学を目指すことが 出来ないか…と。 ふとしたきっかけで古書店街である神保町の南海堂に職を得た 青年こそ、後に早稲田で日本史・日本文学に強い古書店を創業 することとなる五十嵐智氏である。 本書は五十嵐氏が南海堂で働き始めた昭和28年から独立前の 昭和37年までの日記からの抄録である。 波乱万丈ではない。古書店員として目覚ましい活躍がある訳では ない。まして、近年の流行りの小説のように事件を解決する探偵 古書店員ではまったくない。 本当に「日記」なのだ。公開することなど意識せずに書かれた五十 嵐氏の若き日の日常なのだ。 初めの頃こそ、大学へ進学した同級生と、古書店の仕事に忙殺され 勉強さえもままならぬ自身を比較しての焦りや大学進学への未練が 多く綴られている。 しかし、古書店員としての歳月を重ねるうちに進学への希望への表記 はなくなり、仕事への意欲が多くを占める。そして、真剣に仕事へ打ち こむほどに店内のあれこれが目に付き、店主との考えの相違に悩み、 煩悶する姿に変わる。 ひとりの青年の成長の記録でもあるのだが、戦後の昭和の記録でも ある。 今のように交通手段が発達してはいなかったので、個人宅へ買い取り へいくにも自転車でリヤカーを引いて行くのだも。それも神保町から かなり遠方まで。途中からはバイクになるんだけどね。 それに頻繁に出て来るのが手紙だ。電話だってそれほど普及してない 時代。連絡手段は手紙なんだよね。のちに奥様になる女性とも長年の 文通を経ているのだ。今じゃメールで瞬時に返事が届くけれど、手紙 もいいなぁ。 学校や研究機関が古書店を利用するのは分かるんだけれど、企業への 販売も多いのだ。娯楽が少なかったこの時代、企業が社員の娯楽の為 に「読書室」を設けていたなんて本書で初めて知った。 日々の仕事に追われながらも故郷の家族を思い、自分の今後に悩み、 それでも古書店主として一国一城の主となった五十嵐氏。現在、早稲田 五十嵐書店は哲氏の次男である修氏が2代目店主となっている。 巻末には日記に登場する人物名一覧や、南海堂からのれん分けした 古書店一覧、当時の神保町の地図なども掲載されており、資料としても 役に立つ。 尚、贅沢を言えば日記部分に日付だけはなく曜日も記載して欲しかった。
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映画をたくさんご覧になっているのはそういう時代だったのかしらん。 娯楽といえば、本と映画。いい時代である。
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