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栗本慎一郎 の商品レビュー

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2018/01/10

栗本慎一郎と小阪修平の対談を収録しています。 『パンツをはいたサル』(光文社カッパブックス)を刊行した栗本は、浅田彰や中沢新一によって代表されるニュー・アカデミズムの潮流としばしばひとまとめにされ、「知のファッション化」に掉さす思想家として語られています。本書では、そうした日本...

栗本慎一郎と小阪修平の対談を収録しています。 『パンツをはいたサル』(光文社カッパブックス)を刊行した栗本は、浅田彰や中沢新一によって代表されるニュー・アカデミズムの潮流としばしばひとまとめにされ、「知のファッション化」に掉さす思想家として語られています。本書では、そうした日本の現代思想シーンに対する栗本の両義的な感想が述べられるところからはじまっています。 ただし、この対談のなかで栗本がくり返し言及しているのは、浅田や中沢ではなく、柄谷行人です。『内省と遡行』で「外部」へ出ることを目標とする思索を開始した柄谷に対して、栗本はマイケル・ポラニーの思想を引き合いに出しつつ、「外部」という問題設定の窮屈さから解放されなければならないという主張を展開します。とくに栗本は、ポラニーの「層の理論」によって柄谷の「外部」という問題を相対化し、同時に言語の限界へと思索を進めていったウィトゲンシュタインの立場をも超えようとしています。こうした栗本の意図は、その後『意味と生命』(青土社)において全面的に展開されることになります。 一方小阪は、栗本が乗り越えようとしている理性の限界という問題が、マルクスやウィトゲンシュタイン、あるいはデリダといった西洋の哲学者にとって骨がらみになっていることを指摘します。そのうえで、彼らと同じような深刻さでそうした問題と格闘することを免れている日本の知識人の置かれている位置について、栗本に問いかけています。これは、栗本もその一翼を担ったとされる「知のファッション化」という現象の意味を考えるうえで、重要な問いかけであるように思います。

Posted byブクログ