パリ環状通り 新装版 の商品レビュー
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現代フランスを代表する作家、モディアノの代表作とのことで、友人の仏文教授の薦めもあり、この作家の小説を初めて読んでみました。 占領下のパリを中古車で徘徊する父と私。父と呼ぶ人は、人生の落伍者として、ペテン師のような生業で生計を立て、空虚な日々を素性の知れない根無し草達に軽んじられながら、生きています。その人となりはつかみどころがなく、それがゆえに主人公の私は、その影を追っているように描かれています。 ”かつては逆の現象がみられた。息子が筋骨たくましいところを誇示するために、父親を殺害した。けれど今では、いったい誰になぐりかかればいいのだろう。孤児である我々は、父性のしるしを求めて幻影を追いつづけるように、運命づけられているのだ。” (P154-155抜粋) 1972年に書かれたこの作品のテーマは、混迷を一層極める2015年の今日の現代に生きる世界のすべての男子に、共通する命題のような気がしますが?
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最初はハッキリしているがそのうちだんだんボンヤリしてくる情景。逆に最初は茫洋とした感じが次第に明確に捉えられるようになる心情。常に妙な違和感がつきまとうものの、いつの間にかその雰囲気に取り込まれる。嫌いじゃないけど変な感じ。
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「事態の緊迫化した」時節、「私」は怪しげな連中に接近するために、フォンテーヌブローの森のはずれのある村にいた。静かな村に突然やってきた得体の知れない連中。恐喝まがいの新聞を発行している社主、その愛人の高級娼婦、闇取引を生業とする元傭兵の「伯爵」、そしてその片棒を担いでいるユダヤ人...
「事態の緊迫化した」時節、「私」は怪しげな連中に接近するために、フォンテーヌブローの森のはずれのある村にいた。静かな村に突然やってきた得体の知れない連中。恐喝まがいの新聞を発行している社主、その愛人の高級娼婦、闇取引を生業とする元傭兵の「伯爵」、そしてその片棒を担いでいるユダヤ人の「男爵」。流動的な時代の暗部に蠢く人間たちの中に、「私」の父、「男爵」がいるのだ・・・。 かつて父によって関係を断たれた「私」が迂遠にも辿る父への再アプローチの道程。「父」なき時代といわれる現代に、パトリック・モディアノはフランスの最も屈辱的で不安定な時代(=ナチスドイツによるフランス敗北と占領)に照射を当て、それと重ね合わせるように主人公に「父」を追い求めさせている。 どこに向かっていけばよいのかわからない不安で曖昧な日々を、詩情豊かな描写と幻想的で何か捉えどころのないストーリー展開で迫ってくる文章は、モディアノお得意の表現力といえるだろう。また、ストーリー展開において、現在と過去といった「時間」を自由に行き来する手法も、流動性を読者へ意識させるモディアノが得意とするやり方であり、まさにモディアノ・ワールドを満喫できる物語になっているといえる。 「私」の内面的な「想い」とは裏腹に、「時代」に動かされ、「時代」の暗部とともに、表面的な喧騒の度が超えていく状況は、読者の不安感を一層高めていくものであったが、この主人公のように自分も一緒に堕ち、寄り添うことで幸福感を得られるという在り様は、逃げ場のない閉塞感と硬直感漂う時代にあってのカタルシスであり、現代からは羨望の選択なのかもしれない。
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これはまた、ワールドのある作家さんで。 喪失感のあるお話の好きな方、カポーティとかポール・オースターをお好きな方にはオススメしたいですねー。 っつーか、今までなんで、アンテナにひっかかって来なかったの、この人・・・って、自分の感度にガックシというかアセアセというか。
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2014年ノーベル賞受賞のモディアノの代表作 裏社会に生きる父親、その父と繋がろうとするわたし。 そうまとの様な小説。 薄暗く、存在が儚げである。 極めて20世紀的な小説。
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いやいや、面白い本でした。父なき世代の屈折した心情を詩情豊かに。。。と紹介されていますが、描かれる人物の素性が、ぼんやりとしながらも少しづつ明らかになっていくのですが、ググッと引き込まれて読み通してしまいます。
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セーヌ・エ・マルヌ県にあるホテルのバーで四人の男女が酒を飲んでる。痩せて背の高い男がミュラーユ、そのそばにいる逞しい身体の男がマルシュレ、奥の方に立つ女が支配人のモー・ガラ。肘掛け椅子に座っているのが「私」の父だ。引出しから出てきた一枚の古い写真に見入るうちに「わたし」は、はるか...
セーヌ・エ・マルヌ県にあるホテルのバーで四人の男女が酒を飲んでる。痩せて背の高い男がミュラーユ、そのそばにいる逞しい身体の男がマルシュレ、奥の方に立つ女が支配人のモー・ガラ。肘掛け椅子に座っているのが「私」の父だ。引出しから出てきた一枚の古い写真に見入るうちに「わたし」は、はるかな過去にすべりこんでゆく。 幼少時に他人の家に預けられ、大学入学資格も取得した頃、突然父が現われた。トランク一つに荷物をつめて家を出た「私」はその日から父のあやしげな仕事を手伝う羽目になる。古書店で見つけた初版本に作者の献辞を偽装して高値で売り払う商売に「私」は次第に夢中になっていった。そんなある日、あの事件が起こったのだ。ジョルジュ・サンク駅で線路に突き落とされた「私」は危うく死にかけた。背中を突いたのは父だ。それ以来父は「私」の前から姿を消したのだった。 十年ほどして、「私」は父を見つける。父は悪い仲間と商売をしていて、助けを必要としているように思えた。外人部隊にいた昔を懐かしがるマルシュレや、ゴシップや中傷記事専門の新聞を発行するミュラーユのカバン持ちとなった父は「私」を覚えていなかった。混迷の時代。身分証明書を持たないユダヤ人の父はベルギーへの脱出を計画していた。「私」は彼らの仲間入りをし、父を助けようとする。 語り手の「私」は、モディアノの小説ではお馴染みのアイデンティティを捜し求める青年。自分を捨てた父を見つけ、親子の関係を回復することが急務だ。しかし、冒頭からその語りは曖昧にぼかされている。父が怪しげな連中とつるんでいたのは占領下のパリ。古い写真に写る父やその仲間と作家を名乗る「私」が同じ時間を共有することはありえない。ところが、父を蔑ろにする仲間のもとを抜け出し、二人は中古のタルボを駆って夜のパリ環状通りを流してゆく。 占領下のパリといえば、レジスタンスが通り相場だが、闘士ばかりいたはずがない。フランス人には思い出したくもないことだろうが、不穏な時勢を逆手にとって、闇物資を売買したり、ユダヤ人を密告、脅迫する人間もたくさんいた。作家の父もその一人であった可能性は拭いきれない。戦後生まれの作家は、当然その時代を知らない。自分というものの成り立ちを知ろうとすればするほど、その時代と父の姿が気になる。作家は書くことを通して父を手に入れようとする。当時の出来事や事件の顛末、人物の来歴、記憶の向こうに追いやられてしまった事実を再現し、歴史の陰の部分を明るみに引きずり出す。多くの人名の中には実名も混じっていよう。薄闇の世界の中で出自をひたすら隠しながら生きのびようとあがく父を発見して作家は何を思ったのだろう。 捨てられたはずの父に呼びかける「私」の声が何度も書きつけられる。モディアノ作品の中で、これほど父に寄り添い、共に行動する主人公は今まで読んだことがない。虚構であるからこそ、今の自分が当時の父と同じ風景を見て言葉を交わすことができる。常にびくびくし、同じ落伍者仲間に追従する下卑た父の姿を目にしながら、「私」は、父を裁かない。むしろ、自分を汚すこともいとわず、父の近くにとどまろうとする。 『パリ環状通り』は、「根無し草」(デラシネ)が失われた根を求めて現実とも夢想ともつかぬ世界を彷徨する話である。根無し草は根がなくとも生きていられる。人間も同じだ。苦い過去など忘れた方が生きやすいに決まっている。しかし、そうやって生きている今の自分とは何なのだ。最後の場面、父の顔見知りだった給仕が、「あんたは若いんだから将来のことを考えた方がいいよ」と諭す。「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」といったヴァイツゼッカーの言葉が耳によみがえる。自分も知らない過去に、いつまでも拘泥するパトリック・モディアノは、それをいちばんよく分かっているのかもしれない。
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