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農山村は消滅しない の商品レビュー

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16件のお客様レビュー

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2015/05/09

いわゆる「増田レポート」に反対する立場として記された書。 ここで紹介された事例、それぞれの地域での成功事例や努力している事例については、本当にすばらしい取り組みであり、今後このような動きがどんどん広がっていき、全国各地で活性化できるようになっていけば、非常に喜ぶべきである。 た...

いわゆる「増田レポート」に反対する立場として記された書。 ここで紹介された事例、それぞれの地域での成功事例や努力している事例については、本当にすばらしい取り組みであり、今後このような動きがどんどん広がっていき、全国各地で活性化できるようになっていけば、非常に喜ぶべきである。 ただ、現時点では、これらの動きは限定的であり、全国的な人口減少・特に地方における人口減少を押しとどめるだけの動きにはまだなっていないと感じる。 著者は、これまで農山村の強靭性という指摘もしているが、これから本格的な人口減少が始まる中、その強靭性が発揮できるかは未知数だと言える。全体のパイが縮小している中、各地で人口の奪い合いとなりぇば、必ず勝ち負けが生まれ、負けた地域がどうなってしまうのかが見えてこない。 また、「増田レポート」は地域に諦めのみを与えたという指摘もあるが、それだけでなく、危機感を与えたと思う。この時代になっても人口が増加傾向とする総合計画を作成している自治体には、真剣にこれからの時代に向き合うきっかけを与えたものではないだろうか。 増田氏の主張を批判する声もあるが、一定の仮説を元に人口の推移を予測したものであり、評価すべきものであるし、感情的に批判するだけでなく、全体が活性化していくためにはどのような政策が必要なのか、国民的議論がいよいよ必要になってくる。 地域づくりのフレームワーク ①暮らしのものさしづくり(主体づくり)交流・情報  地域住民レベルには「当事者意識」「気づき」が必要、一層重い課題 ②暮らしの仕組みづくり(場づくり)住民自治 ③カネとその循環づくり(持続条件づくり)地域経営 「内発性」「総合性・多様性」という装いを持ち、地域の新しい価値の上乗せを目標としながら「主体」「場」「条件」の三つの柱を地域条件に応じて巧みに組み合わせる体系こそが、今日求められている「地域づくり」である 自治体職員は、より積極的な「地域マネジャー」として、地域の組織・団体や個人に対して、「カネ」「モノ」のみならず、「情報」「人」を直接提供したり、あるいはそれらのネットワークへの接続機会を提供したりすることが要請される 地域マネジメント型行政 ・地域担当制 農山村への支援方法の変化 ①(支援の内容として)補助金から交付金へ ②(支援の対象として)補助金から補助人へ ③(支援の主体として)中央政府から地方政府へ ④(支援の主体として)政府から「新しい公共」へ 田園回帰 必ずしも農山村移住という行動だけを指す狭い概念ではなく、農山村(漁村を含む)に対して、国民が多様な関心を深めていくプロセスを指す 農山村集落は、強い強靭性を持つ、農山村コミュニティのこうした性格は日本的特徴 <この本から得られた気づきとアクション> ・人口減少社会に入り、地方でそれに対抗し、成果を出している取り組みには経緯を評し、この動きが全国に広がっていくのは、うれしい限り ・現時点ではこの動きは限定的と思える。本当に人口減少に対抗できるかは未知数。そのために何をすべきか ・魅力ある地方をつくる取組が今こそ求められる。その中で、自分は何ができるか? <目次> 序章 「地方消滅論」の登場 第1章 農山村の実態―空洞化と消滅可能性 第2章 地域づくりの歴史と実践 第3章 地域づくりの諸相―中国山地の挑戦 第4章 今、現場には何が必要か―政策と対策の新展開 第5章 田園回帰前線―農山村移住の課題 終章 農山村再生の課題と展望

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2015/04/29

農山村が消滅すれば、都市もまた死ぬ。死なないためには、農山村の代わりを海外に求めなければならない。 だがそうなるともはや国家としての体をなさない。

Posted byブクログ

2015/08/17

いわゆる「増田レポート(地方消滅論)」には、個人的にも嫌悪感を抱いていて、そもそも増田氏編著になっている新書は、署名が伴っていない(執筆者が明らかにされていない)点で責任所在に思えるので読む気さえしない。 けれど一方で山下祐介氏の主張はすでに『限界集落の真実』で読んでいたので彼の...

いわゆる「増田レポート(地方消滅論)」には、個人的にも嫌悪感を抱いていて、そもそも増田氏編著になっている新書は、署名が伴っていない(執筆者が明らかにされていない)点で責任所在に思えるので読む気さえしない。 けれど一方で山下祐介氏の主張はすでに『限界集落の真実』で読んでいたので彼の反論本もとりあえず手に取らず。 そんな中、代わりにと言っては何だけど、書店で目についてこの本を読むことにしたのだった。 結果的に、正解だった。 山下氏ほど文章に力が入っていないし、くどくどしくないので読み易い。それでいて、いくつかの先進的な事例(特にそれらのうち歴史的にも大事なもの)をカバーしているのみならず、過去の意義深い文献をかなり網羅的に引いていて、説得力がある。各地での参考にもなりそう。 農山村集落では、高齢者のなかで「継承への意識」が強く広がっていること。 でも自然災害(等)がきっかけで(一歩間違えると)「諦め」が広がり得ること。 地域づくりには内発性・総合性・革新性が求められること。 暮らしのモノサシ(交流・情報)、仕組み(自治)、カネと循環づくり(経営)がカギとなること。 用地協議や住宅建設さえ地域は担いうること。 地域づくり協力隊のような制度も、きっかけになり得ること。 移住トレンドが存在すること。 ――といった、多くの示唆が得られた。 いずれにしても、「増田レポート」が地域に打撃を与えるようなことがないことを祈る。 繰り返すが、説得力ある一冊。

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2015/02/14

過疎地域でも都市地域でもない微妙なところに住んでいるせいか当事者意識がなく、消滅レポートに対し条件反射的に都市集中すべきと考えてしまったことを反省させられた。 そう簡単には農山村は消滅しないが、ほっとけばいいものでもないという両義的な事実があることは、極端な悲観論、楽観論に陥りが...

過疎地域でも都市地域でもない微妙なところに住んでいるせいか当事者意識がなく、消滅レポートに対し条件反射的に都市集中すべきと考えてしまったことを反省させられた。 そう簡単には農山村は消滅しないが、ほっとけばいいものでもないという両義的な事実があることは、極端な悲観論、楽観論に陥りがちな自分を諌めてくれる。 人間関係をほぼ0にしたい身にとっては農村は住みたい場所ではないが、人間関係を求める人、求めない人は双方ともに多いはずで、好きなほうを選べるように都市と農山村の両方が補完しあうような将来が理想的だと思った。

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2015/02/10

確かに「増田レポート」はショック療法的ではあります。 名前が挙げられた市町村があるのですから、そこに住む者としては、やはり・・・と思ったり、なぜ・・・・と思ったり。 著者が感じるほど「悲観的に」はなりませんし、必ずしも諦観の方向にばかりも気持ちは進まないかも。

Posted byブクログ

2015/01/05

昨年メディアで喧伝されたセンセーショナルな「地方消滅」というレポート、そしてその界隈を渦巻く言説に対する「現場人」から即答新書。それはまた事実として積み重ねられ新たな展開をも歩み始めているリアリティに基づいた、「地域人」へのどっこいエールな一冊。ニッポンの農山村の強靭性と、それが...

昨年メディアで喧伝されたセンセーショナルな「地方消滅」というレポート、そしてその界隈を渦巻く言説に対する「現場人」から即答新書。それはまた事実として積み重ねられ新たな展開をも歩み始めているリアリティに基づいた、「地域人」へのどっこいエールな一冊。ニッポンの農山村の強靭性と、それが対面してきた「地域活性化・地域づくり・(地域再生)」の流れと事例を振り返りながら、「消滅」という一人歩きワードが覆う「生活」を提示する。さらにその過程と現在進行形の施策から、チホウソウセイ論に必要なアプローチや考え方を整理し、建設的な論議のための一考を投げかける。この界隈に足を踏み入れて1年半弱なシティボーイからすれば、そこまで敏感になるレポートなのかと考えていたが、「限界集落への臨界点」における「誇りの空洞化」については実感できるところもあり、とりあえずの参考書程度に。例えばよりリアルなリアリティをみれば、マチズムバリバリな首長というニッポンセイジの未熟さや、自世代中心主義の楽観性、農山村の強靭性を担保してきた当該農山村での暮らし時間(関与時間)の減少、などの問題もあるわけで、その辺などは今後広く深掘りされるのだろうかと「この手」本をレビュー。そして目下の問題意識としての「集落しまい」については言及なし。人の暮らしがある、という意味においての「集落」のしまいについて、それこそ「農山村たたみ・徹底論」に拡大解釈されないように考動するということ。民俗学や文化人類学からの横槍がこの界隈にあってほしい。いずれにしても、根本的かつ総合的な「ニッポンのあり様」の議論なくしては、この論争、界隈論に終始する。

Posted byブクログ