NHKニッポン戦後サブカルチャー史 の商品レビュー
サブカルチャーは和製英語だと思っていたが、れっきとした英語だった。既存体制に対する怒りをエネルギーにして発展した「本流とは違う」文化を指す。日本のサブカルチャーもそうした怒りをエネルギーにスタートしているが、その後は独自の発展を遂げている。怒りというよりは「逸脱」であり、オタク、...
サブカルチャーは和製英語だと思っていたが、れっきとした英語だった。既存体制に対する怒りをエネルギーにして発展した「本流とは違う」文化を指す。日本のサブカルチャーもそうした怒りをエネルギーにスタートしているが、その後は独自の発展を遂げている。怒りというよりは「逸脱」であり、オタク、クールジャパン、ポップカルチャーなどを巻き込んで変遷していった過程を劇作家の宮沢章夫が語る。 昔は映画、音楽、演劇、漫画が主で、現在では他の要素も多く含んでかなり身軽なもの、大衆的であり「サブ」というよりは世間の大多数が嗜むものに変化していっているようだ。 本書の半分以上は1945~2014年の「サブカルチャーの履歴書」で構成されており、これが圧巻(ただし誤字脱字は散見される)。毎年、毎月の出来事を社会的な大きな事件と共に文化面を中心に記録している(演劇は優先的に書かれている)。 自分が生まれてからの年表は、その時々の自分の体験を重ね合わせて読める。そして今も愛されているコンテンツが「こんな昔にスタートしたのか」と改めて驚かさせれることも。
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NHKで放送されていたときに観ていたので本でも読んでみました。 「サブカルチャーとは逸脱」という。葉が印象的。 逸脱していてこそ面白い。 皆が好きになっちゃったらただの王道。
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序章 サブカルチャーとは何か 第1章 五〇年代にサブカルチャーの萌芽を見る 第2章 六〇年代の表現者たち―大島渚、新宿、『カムイ伝』 第3章 極私的、七〇年代雑誌・音楽変遷史 第4章 セゾンとYMOで八〇年代を語る 第5章 「サブカル」の出現と岡崎京子 第6章 それぞれのサブカル...
序章 サブカルチャーとは何か 第1章 五〇年代にサブカルチャーの萌芽を見る 第2章 六〇年代の表現者たち―大島渚、新宿、『カムイ伝』 第3章 極私的、七〇年代雑誌・音楽変遷史 第4章 セゾンとYMOで八〇年代を語る 第5章 「サブカル」の出現と岡崎京子 第6章 それぞれのサブカルチャー
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2015.12.14 後半にある年表を見ると、2000年以降ってカルチャーに全然触れてないなと思う。 やっぱり大学生の時と社会人になってすぐくらいのは大体わかる。
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『流』を読んだ時に、「サブカルは終わるんだな」という感想を持った。何故そう思ったのか、自分自身の頭の事ながら訳が分からない。 という訳で、ではまずサブカルについておさらいするかと買ってきた。 『ニッポン戦後サブカルチャー史』も同じ理由で購入した。年内に読めたらいいな。。。
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【教育学部図書館リクエスト購入図書】☆信州大学附属図書館の所蔵はこちらです☆http://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB16851664
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サブカルチャーとは何か?きっと人によって答えは違う。YMOに代表される80年代テクノと主張する人もいるだろうし、近年はアニメ色が強い。筆者はその定義を「逸脱」と宣言。それは王道の文化が優れているという上下の概念ではなく別の見方を得て視点を広げること。驚異的な情報量の年表も面白い!
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サブカルの歴史もさることながら、1945年から2014年までの詳しい年表が、面白い。1970年代頃からは、一年一年になつかしさがこみ上げる。
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サブカルチャーを、米国での誕生から説き始め、日本での変遷を10年刻みで、年代ごとにおっていく。詩、映画、ラジオの深夜放送、音楽、演劇、ファッション、企業のメセナ活動にいたるまで、著者の体験を交えて語られている。Eテレでの放送をほとんど見逃してしまっていたので、本書が出版されてよか...
サブカルチャーを、米国での誕生から説き始め、日本での変遷を10年刻みで、年代ごとにおっていく。詩、映画、ラジオの深夜放送、音楽、演劇、ファッション、企業のメセナ活動にいたるまで、著者の体験を交えて語られている。Eテレでの放送をほとんど見逃してしまっていたので、本書が出版されてよかった。著者が最後に述べた、中学2年生のクラス40人のうち、37~38人は同じ方向を向いているが、2~3人は他を見ている、そのことについて語りたかったというのが、印象にのこった。
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サブカルチャーは下位の文化であり、そして逸脱でもある。こういうと怒る人もいるかもしれないが、サブであり、カウンターである以上、仕方ないだろう。 本書はNHKのEテレ(って、何かと思ったら教育テレビこう呼ぶのね)の番組を期に生まれた本らしい。 NHK教育でサブカルチャー。なんじ...
サブカルチャーは下位の文化であり、そして逸脱でもある。こういうと怒る人もいるかもしれないが、サブであり、カウンターである以上、仕方ないだろう。 本書はNHKのEテレ(って、何かと思ったら教育テレビこう呼ぶのね)の番組を期に生まれた本らしい。 NHK教育でサブカルチャー。なんじゃそれは。 僕がテレビから離れている間に、呼び名は変わるは、サブカルチャーを番組として取り上げるはで、驚きが隠せない。その驚きに、NHKエンタープライズの人が前書きで答えている。あえて、選ぶ。選択こそが、生き方であり、思想であり、その細部にこそ命が宿る、と。 前半分は宮沢章夫がサブカルチャーの変遷を追い、後ろ半分は戦後サブカルチャー関係の年表である。なかなかのボリューム。年表もまったく読み応えがある。 言っておくけれど、サブカル本ではない。サブカルチャーの方である。おたくとオタクが違うように、いやそれ以上にサブカルとサブカルチャーは違う。そんなことにも触れられている。 僕が青春を過ごした場所や時間も登場する。 ただ、そのときの僕には、いろんなことを繋げて考える力がなかった。 選ぶ、ということに思想がなかった。なんだかすごくもったいない、損をした、取り返しがつかないことをしたような気分になった。まさかこんなに落ち込むとは思わなかった。当時の選択だけでなく、今の選択にも自信がないからか。 「サブカルチャーは単にサブカルチャーであって、処方薬ではありませんから。」まったくだ。「寄りかかるな!」まったくだ。 なんか、泣きそう。
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