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考古学崩壊 の商品レビュー

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2025/10/10

【琉大OPACリンク】 https://opac.lib.u-ryukyu.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB16745022

Posted byブクログ

2025/07/22

2014年刊。執筆に13年かかったとある。落ち着いて考える時間が必要だったということなのだろう。 1970年代後半~90年代、それまで日本では見つからなかった前期・中期旧石器時代の石器が次々に発見される。発見者は藤村新一。それらが埋まっていた地層の年代は数万年前、遺跡によっては3...

2014年刊。執筆に13年かかったとある。落ち着いて考える時間が必要だったということなのだろう。 1970年代後半~90年代、それまで日本では見つからなかった前期・中期旧石器時代の石器が次々に発見される。発見者は藤村新一。それらが埋まっていた地層の年代は数万年前、遺跡によっては30~50万年前のものもあった(なんとホモ・サピエンス以前、原人の時代だ!)。これらの発見は中・高の歴史教科書にも載った。ところが2000年、それが藤村の捏造であることが発覚する。考古学界は騒然となった。 教科書に載ったということは、学界がお墨付きを与えていたということだ。共同研究者、文化庁、歴博や学会の権威筋たちはいったいなにを、どこを見ていたのか。捏造は藤村ひとりで行なったのかもしれないが、彼らはそれを大発見として称賛し続けたのだ。 著者の竹岡俊樹は1950年生まれ。藤村と同年齢。筑波大の大学院で学んだのちパリ第6大学に留学して、博士号を取得した。指導教員はアンリ・ド・リュムレイ(テラ・アマータの遺跡発掘で有名なあのリュムレイ!)。そこで学んだ竹岡が帰国後、藤村の大発見とやらを目にした時には、おそらく絶句したに違いない。なぜって、世界的に見ても、ありえない話だったから。しかし、縄文の石器と旧石器の区別もつかないアカデミアの研究者たちっていったいなんだろう。 2004年に出た奥野正男『神々の汚れた手』も本書とほぼ同趣旨。奥野も竹岡も、捏造発覚以前から、藤村の発見の奇妙さを指摘していたが、ほとんど相手にされなかった。彼らは大学や研究所に所属していたわけではなかった。捏造の現場を押さえたのは毎日新聞の記者たち。アカデミアの人間によるものではなかった。それらがすべてを象徴している。

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2022/10/31

第11回アワヒニビブリオバトル「ごめんなさい」で紹介された本です。 チャンプ本 2016.04.05

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2015/06/08

 2000年に発覚した旧石器捏造事件の「告発者」による総括の書。一部でささやかれる「共犯」「黒幕」説は採らず、藤村新一の確信的詐欺行為とみなしている(藤村は並みの研究者よりも石器を見る目があったと推定)。  事件の背景として、石器の分析に基づく型式学を欠いた日本考古学の根本的欠...

 2000年に発覚した旧石器捏造事件の「告発者」による総括の書。一部でささやかれる「共犯」「黒幕」説は採らず、藤村新一の確信的詐欺行為とみなしている(藤村は並みの研究者よりも石器を見る目があったと推定)。  事件の背景として、石器の分析に基づく型式学を欠いた日本考古学の根本的欠陥を強調し、藤村登場以前から学界にはそもそも石器をまともに分析する方法論がなかったことを批判している。事件後も考古学界・文化財行政・マスメディアの「発掘至上主義」的構造は何ら変わらず、むしろ告発者たる竹岡の孤立はより陰惨な状況になっているようで、改めてアカデミズムの陰湿な側面を突きつけられる。  専門的な研究史が中心なので、ある程度知識がないと理解しがたい内容を含むが、前代未聞の事件の全貌を知る上で、現状では最も信頼のおける書と言えよう。

Posted byブクログ

2019/01/26
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

発掘捏造の発覚から早15年。 それまでの20数年におよぶ「大発見」がなされた時代に記憶がある訳ではないので、どうにもこの事件の重大性が分かっていなかった。 発覚から10年くらい経った頃に国立歴史民族博物館に行ったら、この事件をうけて再検討しているんだかされているんだか、とにかく展示に注記があったことは覚えている。 考古学の知識はないので、石器の見分け方や種類などの記述は、そうなんですか、とそのまま受け取る事しかできないのである。 しかし「石器を見る」ことで遺跡の年代や状況を考えるのではなく、地層と出てきた「成果物」ありきの年代測定をしてきたのであれば、なるほど、20数年間、あらゆる考古学者が信じ続けてきたというのも納得できる。 発掘物の検証を積み重ねて論を導く、ではなくて、論にあわせた発掘物の「解釈」になっていたと考えれている。 しかし、誰も捏造が行われるとは疑わないだろうから、でてきた→信じるの図は分からなくもない。 とはいえ、それが何度も続いた時に、「神の手」と非科学的な言い回しで「信仰」してしまったことはあれ?と思うし、この件に限らずこういう類いの妄信の例はあまたあると思う。 疑いを持って、ではないけれど、本当に本物か、大丈夫か、と常に自分の判断に再考する習慣をつけておくことは大事だと思った。 2019/01/26再読 岡村、竹岡のやりとりの記載を読んで、現在の状況との既視感を覚えた。

Posted byブクログ