日中韓を振り回すナショナリズムの正体 の商品レビュー
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留学時代、世界の色々な国の友人らと話していて、これまで自分は恥ずかしいほどに歴史を、特に近現代史学んでこなかったと自覚して以来、ずっといつかきちんと考えてみようと思っていた。 半藤氏の昭和史などを読んでから、ついに気になっていたこの本を手にとった。 一番印象に残ったのは「過去の戦争の直接の責任は自分にはない。しかし人間としてはあってはならない悲惨なことをしたことが悲しいし、かつての加害国の人間として歴史を繰り返さないよう努力をする」という趣旨の部分だ。 自分がマジョリティ側、もしくは力を持つ側にいるあらゆる社会問題を考える時にも感じていたことだが、自分自身の行動でないことに対して過剰な罪悪感を持つと、突き詰めれば自分を消さなければいけなくなってしまう。それは健全な考え方ではないと常々思っていたので、この考えには共感した。 私がこの国の態度として一番気になっているのは、過去のことをなかったこと、過ぎたことにしてしまおうとしているように見えるところだ。 戦時中の非道な行為について贖罪は済んでいるという意見もあろうが、「私たちは忘れていない、今後も同じ過ちを繰り返さないよう全力を尽くす」という決意を表明することはずっと続けていくべきである。 韓国人・中国人の友人を持つ者として、K-POPを始めとして隣国の文化に関心を持つ者として、相手の視点と自分の視点の双方で物を考え、この問題について引き続き考えていきたいと思った。
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今、日中韓の関係が悪化している。まるで戦争前のような状態である。ナショナリズムを振り回して関係悪化をアジっている者も多い。この本では本当のナショナリズム・愛国心とは何かについて書かれている。戦争は庶民を不幸にする。戦争を起こす指導者は死なない。狡いと思った。
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ナショナリズム=愛国心は、愛郷心のようなかたちで本来誰にでもあるものだ。が、権力と結びついているナショナリズムというものがあり、それが意図的に前者のナショナリズムを扇動し、政治的に利用しようとする構図がある。それがタイトルにある、日中韓でいま相互不信をかりたてているナショナリズム...
ナショナリズム=愛国心は、愛郷心のようなかたちで本来誰にでもあるものだ。が、権力と結びついているナショナリズムというものがあり、それが意図的に前者のナショナリズムを扇動し、政治的に利用しようとする構図がある。それがタイトルにある、日中韓でいま相互不信をかりたてているナショナリズムの正体だ。それぞれの国がどのような歴史的な背景でナショナリズムを持ち得、それがどのような意図で利用されているのか。太平洋戦争時の軍部が誘導した日本のそれ、共産党・国民党の対立が元になっている中国の反日教育、韓国人の誇りの高い国民感情、本書は、それらの主たる理由を簡潔に紹介し、それを正しく知ることなく、悪感情をもって自国のナショナリズムを高める態度に警鐘を促す。日本は戦後代々の政権は、太平洋戦争時のファシズムへの忌避感からそれをあおることをずっとしてこなかったが、ここ最近、特に安倍内閣がさかんに煽るようになったと、その危機を指摘しているが、言われてみれば確かに少し前なら、口にしなかったようなことを平気で言うように時代が変わっていることは確かだ。
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本書は、昭和史の大御所二人の対談である。「ナショナリズム」という妖怪を断罪する意見は、大いに説得力はあるが歴史の読み物としては、今ひとつ面白みに欠けるように思える。 歴史書をある程度読んでいると、本書には新しい発見や知見は見いだせないように感じられて、物足りないのかもしれない...
本書は、昭和史の大御所二人の対談である。「ナショナリズム」という妖怪を断罪する意見は、大いに説得力はあるが歴史の読み物としては、今ひとつ面白みに欠けるように思える。 歴史書をある程度読んでいると、本書には新しい発見や知見は見いだせないように感じられて、物足りないのかもしれない。ちょっと、残念。
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アメリカが何か言うと外務省の役人が走り回る、と後藤田さんが行っていた。きっと外務省は戦争のできない日本をずっと苦々しく思っていた。だから俺たちが走り回らされるんだと。 太平洋戦争に負けたとき、日本人の心にあったのは生活の立て直しだけで、自分たちの本当の国民主義的なナショナリズムに...
アメリカが何か言うと外務省の役人が走り回る、と後藤田さんが行っていた。きっと外務省は戦争のできない日本をずっと苦々しく思っていた。だから俺たちが走り回らされるんだと。 太平洋戦争に負けたとき、日本人の心にあったのは生活の立て直しだけで、自分たちの本当の国民主義的なナショナリズムに思いを致す余裕がなかった。新しい国家づくり、どんな国家を創ったらいいかを追求するナショナリズム、その力も情熱もなかったのが事実、つまり虚脱していた。
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