昭和の名編集長物語 の商品レビュー
『昭和』!戦中のお前は桐生悠々に「今日の時局に何というふさわし からぬ名であることか」と書かれた。その時代の始まり、若き天皇の 即位によって期待されたお前は、 「最初は明朗であり、その名通りに 『昭』であり、『和』であった」と書かれた。 しかし、「年を重ぬるに従って、次...
『昭和』!戦中のお前は桐生悠々に「今日の時局に何というふさわし からぬ名であることか」と書かれた。その時代の始まり、若き天皇の 即位によって期待されたお前は、 「最初は明朗であり、その名通りに 『昭』であり、『和』であった」と書かれた。 しかし、「年を重ぬるに従って、次第にその名に背き五・一五事件以前 に於いて、 早くも『暗』となり『闘』となった。そして昨年の二・二六事件 以来は、『暗』と なり、『闘』となった……」と言われ、挙句、「 『昭和』よ、 お前は今日から、その名を『暗闘』と改めよ。これが、お前に最もふさわ しい名である」とまで書かれた。 だが、『昭和』!戦後のお前は徐々にその名にふさわしい時代となった。 戦後復興の中で、産業・経済のみならず出版文化も華々しい時代を 迎えた。 出版界も戦中は『暗』であり『闘』であった。検閲があり、大本営発表 ばかりがまかり通った。紙の割り当てがあり、出版社の統廃合もあった。 ようやっと『暗闘』の季節が終わり、出版界にも「言論の自由」が訪れ た。そうして始まった出版文化の黄金時代。 『昭和』!お前は幾多の雑誌・文学全集をこの世に送り出した。 その裏方には多くの出版人がおり、編集者がいた。 それは「文藝春秋」の池島信平であり、「暮らしの手帖」の花森安治 であり、「週刊朝日」の扇谷正造であり、「平凡パンチ」の清水達夫 であり、「噂の真相」の岡留安則であった。 百花繚乱。『昭和』!平和を目指した戦後のお前は、文化の爛熟期 でもあったのではないか。雑誌に、文学に、その腕を振るい、後に 「名編集長」と呼ばれる多くの人材を送り出した『昭和』! 前半の『暗闘』の時代を補うように、戦後のお前は多くの出版文化を 私に与えてくれた。『昭和』!私は胸を張って言おう。「吾は昭和の 児」であると。 無機質な紙に文字が印刷されることで、そのには作り手の思いが 込められる。紙に心を与え、命を与える、すべての編集者に敬意を 評して。 『昭和』!お前の時代に生まれ、育った幸せを思う。 ※敬愛する桐生悠々の「不安なる昭和十二年」の名文を駄文に 使ってまいました。ごめんさない、悠々。(__)
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