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犬たちの明治維新 の商品レビュー

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2014/10/24

『犬の伊勢参り』の著者による、犬たちの明治時代。 黒船来航以来、激動の時代を迎えたのは人だけではなかった。犬もまた、時代の波に激しく揉まれた。 本書では、明治維新前後に軸を据え、外国人と日本犬、日本人と洋犬、里犬の消滅、西郷どんと犬、ポチの由来といったトピックについて、文献から...

『犬の伊勢参り』の著者による、犬たちの明治時代。 黒船来航以来、激動の時代を迎えたのは人だけではなかった。犬もまた、時代の波に激しく揉まれた。 本書では、明治維新前後に軸を据え、外国人と日本犬、日本人と洋犬、里犬の消滅、西郷どんと犬、ポチの由来といったトピックについて、文献から実像を探っていく。 『犬の伊勢参り』で見せた丹念な史料の読み込みは本書でも健在である。 長い鎖国の時代を経てやってきた外国人にとって日本犬は珍しい生きものだった。狆を始め、海を渡った犬もいる。 相手が珍しかったのは犬にとってもまたしかり。当時はまだ現代のように、飼い犬がつながれて飼われる時代ではなかった。「里犬」と言われる土地の犬が街をうろうろしていた。そうした犬にとっては見慣れぬ風体の外国人は「怪しい奴」。激しく吠え掛かり、外国人を閉口させることも少なくなかった。 町の人々に取っては犬はそこらにいるもので、しつけて飼うものではなかった。外国人が洋犬に「カム・ヒア」と声を掛け、犬が寄ってくるのを見て驚いた。そして洋犬をカム・ヒア→カメと呼ぶようになる。よく慣れた「カメ」は人の口をなめようとする。洋犬を可愛がろうとしたところ、口をなめられて気味悪がっているエピソードが紹介されているのが興味深い。当時の日本人にとっては犬が口をなめようとするなど、思いもつかないことだったのだろう。 文明開化の一環として、明治政府は「畜犬規則」を設ける。「飼犬」と「無主の犬」に分けると定められたら、里犬は「無主」と呼ばれるしかない。そこに狂犬病が拍車を掛ける。狂犬病が入ってきたのは吉宗の時代という。オランダから猟犬を輸入したことによるらしい。その後、時々、流行しては下火になる形でウイルスが根付いていたのだろう。明治期に入っての流行として大きいのは明治26年長崎でのものである。この際、多くの「野犬」が撲殺されている。 なかなかおもしろい話題が西郷隆盛と犬の話。よく知られる上野の森の西郷どんは犬を連れている。像の通り、西郷は犬を愛したが、その様子はいささか常人の理解の域を超えている。始終複数の犬を付き従えては鰻丼を食わせ、祇園の座敷にも連れて上がる。一時は猟師になることも本気で考えていたらしい西郷は、西南戦争にも犬を連れて行ったそうだ。 さて、西郷の心中、なかなか測りにくいところがありそうだが、身体の大きかった西郷はまた、一般人の定規では測りきれぬ心の大きさもあったというところだろうか。 西郷が愛した薩摩犬は、残念ながら、維新の激動の中、あるいは殺され、あるいは雑種となり、純粋なものは残っていないようである。 犬の名前として、よくあった「ポチ」。この由来については諸説あるが、著者は「patch」説を採る。このあたり、推理の道筋が読ませどころなので、実際に読んでいただくとして、犬の名に留まらず、さまざまな国の間での人々の交流が透けて見えるようでダイナミックである。 語源はともあれ、「ポチ」が普及したのには教科書や唱歌の役割が大きそうだ。花咲爺さんの犬だって、明治期まではポチじゃなくてシロだったんじゃないかなぁ・・・?なんて思わせる。 トピックがかなり広範にわたるため、『犬の伊勢参り』よりも散漫な印象を受ける。だが、明治期が犬にとってどんな時代であったのか、多角的に見ていくことで浮かび上がってくる像がある。 同時に、史料からああだったかこうだったかと突き詰めていく作業の楽しさ・厳しさを感じさせる1冊である。

Posted byブクログ

2014/10/17

明治維新まで、日本の犬たちは、狆などごく一部を除いて「無価値」だったのだという。村で飼われていても、飼い主はなかった。「里犬」だ。犬たちは見慣れぬ人間を見ると吠えたてた。吉田松陰がアメリカの船に乗ろうと企てたのを妨げたのも、吠える犬たちだった。その犬たちは、開国でやってきた異人に...

明治維新まで、日本の犬たちは、狆などごく一部を除いて「無価値」だったのだという。村で飼われていても、飼い主はなかった。「里犬」だ。犬たちは見慣れぬ人間を見ると吠えたてた。吉田松陰がアメリカの船に乗ろうと企てたのを妨げたのも、吠える犬たちだった。その犬たちは、開国でやってきた異人には、特に吠えた。そんなことがあって、明治の初年に畜犬規則が設けられ、飼い主のいない日本の犬の滅亡が始まる──犬たちにとって、明治維新は大変な歴史の波をかぶった時代だった、と、この本を読んで初めて知った。『犬たちの明治維新 ポチの誕生』という一冊。 物言わぬ犬たちにかかわることがらを、これだけよく調べたものだと思う。明治初年にやってきた外国人の日記、残されている日本側の文書など山ほどの資料。ペリー来航から、幕府が贈った日本の犬(狆)の頭数が何頭であったのか、という一事をめぐっても、多くの推測を加える。多弁というか、甚だ饒舌と思われるほどの記述だ。 話は、明治天皇が猟をするために犬を飼った歴史から、上野の山に銅像として残る西郷さんが連れている飼い犬のモデル問題、また西南戦争の最中にも西郷さんは猟に出かけていたこと、猟に連れていた犬の頭数にもこだわり、史料を漁っている。 面白いのが、副題にもある「ポチの誕生」にいたる考証だ。日本の「里犬」が畜犬規則で姿を消していく一方、文明開化の時代の波にのって洋犬が入ってくる。西洋人がその飼い犬に「カムヒア」と呼ぶのを聞いて、洋犬一般の名を「カメ」と呼ぶのだと聞いた。そして明治43年の朝日新聞の記事を引いて、犬の名前ランキングをあげている。1位がポチ、2位はジョン、3位はマル…といった具合だ。なぜ「ポチ」なのか。これにも諸説がある、として▽spottie▽petitなど英米仏語由来説を紹介したうえで、ピジン(pidgin)・イングリッシュという開港地・横浜で使われていた特殊な英語に注目し、「ぶち」を意味する「パッチ(patches)」からポチに転訛したものと結論。その「ポチ」が一般化するうえで、明治の教科書『読書(よみかき)入門』の第19課にある「ポチ ハ、スナホナ イヌ ナリ。ポチ ヨ、コイコイ…」と、さらにこれと連動して有名な童謡「花坂爺」が『教科適用 幼年唱歌・初編』に載ったことが大きかった、としている。決して「花坂爺」の時代に、ポチという名の犬がいたわけではないのだ。 こんな本を書く人は、どんな人かと見ると、仁科邦男さん、1948年生まれで、毎日新聞の記者を経て、出版局長、毎日映画社の社長をつとめ、『犬の伊勢参り』など犬に関する著書がほかにもあるようだ。いや、恐れ入りました。

Posted byブクログ

2014/09/06

うーん。 犬。 明治維新前後の事件に関わる、犬の話。 面白かったのだが、図書館に返す期限の関係で途中で諦めた。また借りるかは微妙、その位。

Posted byブクログ