「坊っちゃん」の時代(新装版)(第二部) の商品レビュー
森鴎外の若かりし過ち。舞姫執筆で昇華するも、人生に刺さったトゲのようなもの。個人でなく、家のために生きる明治時代。今は少しずつ薄れてきたが。
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染井墓地 いしゃ慰藉 ロシアに病み印度に荼毘の灰に帰す 築地精養軒ホテル 鹿鳴館時代は終焉を迎えていた はんか繁華の趣きから芽生えていた ノルマントン号事件 偏頗な愛憎 その頭脳はちょうめい澄明であった 水を吸う海綿の如く知識を吸収した 二葉亭四迷長谷川辰之助『浮雲』 遊郭は士族...
染井墓地 いしゃ慰藉 ロシアに病み印度に荼毘の灰に帰す 築地精養軒ホテル 鹿鳴館時代は終焉を迎えていた はんか繁華の趣きから芽生えていた ノルマントン号事件 偏頗な愛憎 その頭脳はちょうめい澄明であった 水を吸う海綿の如く知識を吸収した 二葉亭四迷長谷川辰之助『浮雲』 遊郭は士族の娘でいっぱい 骨絡みで欧化せねば 醜い幼児は宿命です_宿命に抗うのは徒労です 日本近代文学の萌芽 私は出世欲に身を焦がす本田昂です 清水の次郎長こと山本長五郎 勇気と知恵に富んだ美少女は欧州の歴史の渦の中に消えた 彼が若年の頃味わった恋愛の蹉跌は 『舞姫』の謎は重く 一葉樋口夏子は中流のお嬢さんとして少女時代を送った 「可哀想な明治女性」という通俗な文学史解釈では夏子が気の毒だ。そんな思いが、この物語を造形する動機の一つとなった。
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関川夏央が原作を書き、谷口ジローという漫画家が作画したこの漫画は、日本という国の「近代」という時代に、言い換えれば文明開化、富国強兵をうたい文句にして驚異的な発展を遂げたアジアの片隅の島国の「明治」という時代ということですけれども、その時代の「人々」に関心を持っている人には、お...
関川夏央が原作を書き、谷口ジローという漫画家が作画したこの漫画は、日本という国の「近代」という時代に、言い換えれば文明開化、富国強兵をうたい文句にして驚異的な発展を遂げたアジアの片隅の島国の「明治」という時代ということですけれども、その時代の「人々」に関心を持っている人には、おすすめです。 原作者の関川夏央は、両親が学校の先生という不幸な生い立ち(?)なのですが、上智大学を中退して、週刊誌のコラムを書いたり、ポルノ漫画の原作を書いたりして糊口をしのいだこともある苦労人(?)で、「ソウルの練習問題」(新潮文庫)という批評作品で批評家として世に出た人です。 どっちかというと「文学さまさま」というようなアプローチではなく、スキャンダルや、エピソードの収集家的な視点と山田風太郎的な奇想の視点で、近現代の文学シーンを暴いてきた人なのです。その関川が、名作「犬を飼う」(小学館文庫)の漫画家谷口ジローと組んで、日本漫画作家協会賞をとったのがこの漫画なのです。 https://www.freeml.com/bl/12798349/951660/
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第二部は鷗外。 ドイツ留学から帰国した鷗外を追ってきた、エリス。 それは、エリスの独りよがりの恋ではなく、鷗外との約束だったのだ。 しかし鷗外は家族を説得するどころか、家というくびきに繋がれることを自ら選んだ。 エリスの来日を知っても会いにもいかず、弟の篤次郎や妹の婚約者である小...
第二部は鷗外。 ドイツ留学から帰国した鷗外を追ってきた、エリス。 それは、エリスの独りよがりの恋ではなく、鷗外との約束だったのだ。 しかし鷗外は家族を説得するどころか、家というくびきに繋がれることを自ら選んだ。 エリスの来日を知っても会いにもいかず、弟の篤次郎や妹の婚約者である小金井良精(星新一のおじいちゃん)にエリスの説得を任せる。 この辺森鷗外が、本当に情けない。 鷗外とエリスが会えずに(会わずに)いる時、エリスのそばにいたのが長谷川辰之助(二葉亭四迷)である。 エリスが鷗外を信じ、鷗外の来訪を待っている間、二葉亭四迷は彼女の人となりをずっとそばで見ていて、彼女に淡い思いを抱く。(これは事実なのでしょうか?) ついでに二葉亭四迷が、持家から借家に引っ越す樋口一葉から飼い犬を託されたというのも事実なのでしょうか? 今は教科書にも鷗外の作品が掲載されてはいないらしいけれど、私は中学生の時に教科書で「高瀬舟」を習ったことを、そこで「知足の喜び」という言葉を先生から教わったことを、忘れたことはない。 少し難しいことを学ぶのは、学生時代に必要なことではないのかな。 漱石や鷗外の生きた時代、明治というのは、ちょっと前まで江戸時代だったのである。 武士がいなくなり、殿さまがいなくなり、庶民が生まれた。 欧米に追い付くために、いろんな制度がどんどん作られた。 国全体が、生まれたばかりだと言ってもよかった時代。 文学というものは強制されたからと言って生まれるものではない。 そして、西欧に負けない日本の文学を作ろうなどという強制はなかったはず。 なのに、たった数十年で江戸時代の読み本とは全然違う、日本文学というものができた。 二葉亭四迷は言文一致体で「浮雲」をかいた。 “その実践にあたって すなわち「浮雲」を書くとき二葉亭は まず日本語によって脳裡のイメージを作り つぎにロシア文で叙述し さらにそれを再び日本語に翻訳して原稿としたのだった。 近代知識人の疎外を描くに 江戸狭斜の流れるような文章はふさわしくなかったから 彼は新しい書き言葉をこのように開発したのである” 二葉亭四迷は生涯自分を文学者だとは認識していなかったらしい(完全主義者ゆえ)が、言文一致という形だけではなく、一度ロシア語で叙述するという客観視された文章を書くという姿勢が、まさに近代日本の文学の始まりだったのではないだろうか。 “明治の知識人が戦うべき対象は多くあったが、そのうちのひとつは貧困という巨大な怪物だった。しかし貧困が精神をむしばむ度合は、現代よりもはるかに少なかったといえるだろう。嫉妬にとらわれるまい、貧しくても徳義を失うまいという心の傾きは、つねに彼らとともにあった。明治とはそういう時代だった。” 私たちは明治時代から繋がる現在に、何を伝えられ、何を失ってきたのだろう。 次の世代に何を伝えていけるのだろう。 少なくとも近代日本というのは外国から与えられたものだけではなく、確かに私たちの先達が苦しんで創り上げてきたものでもあることは伝えなければと思う。
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