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漱石とその時代(第一部) の商品レビュー

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2019/02/17

 江藤淳のライフ・ワークである漱石の評伝をあらためて手に取る。第一部は漱石誕生から、夏目鏡子との結婚、熊本五高での教師生活まで。  いろいろなことを教えてもらったが、やはり、江藤特有の強引な心理主義的解釈がいちいち気になる。確かに夏目金之助が二つの〈家〉のあいだを金銭とともにや...

 江藤淳のライフ・ワークである漱石の評伝をあらためて手に取る。第一部は漱石誕生から、夏目鏡子との結婚、熊本五高での教師生活まで。  いろいろなことを教えてもらったが、やはり、江藤特有の強引な心理主義的解釈がいちいち気になる。確かに夏目金之助が二つの〈家〉のあいだを金銭とともにやりとりされていたのは事実だし、同居していた嫂の死に少なからず心を動かされたことがあったかもしれない。しかし、江藤が力瘤をこめて「――ねばならない」と語るほど、漱石の言葉や文字にそのことが顕現しているとも思えない。自分が求める一義的な〈解〉――存在論的な暗さ、嫂への秘められた恋――に漱石のテクストを寄せ集めようとする操作は、ほとんど「トンデモ本」の域にさえ近づいている。それにしても、?外『舞姫』『文づかひ』から「まごうかたなき旧い日本」「金之助が英文学専攻を決意して以来置き去りにしてきた「日本」」を見出した、とはいったいどういうことなのか。?外のテクストから「儒学的世界像の骨格」を見出し、そこに「崩壊しつつある旧い世界観の残照」を見るとは、こじつけもいいところだ。  だから問題は、なぜこのような妄想スレスレの議論が堂々と通用したのか、という点にある。心理主義的解釈の欠点は、自分の理解できる範囲の心理でしか、対象のことを捉えられなくなることにある。だが、そこに1960―70年代の批評と研究のモードがあった、ということだ。いいかえれば、江藤の議論が受け止められるような期待と認識の地平が、同時代の文学批評・文学研究において目指されていたものだったのだ。

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2011/08/07

図書館で借りてきていっきに読んでしまった。5部まであるみたいだから、あと、4部ある。楽しみだ。マンガの「先生と僕」を最近読んで、久々に漱石が読みたくなって、さらに、評論も読んでみたくなって、図書館に行って選んだのがこの本。 本書は、漱石と江戸時代の終焉、明治時代の幕開けが書かれて...

図書館で借りてきていっきに読んでしまった。5部まであるみたいだから、あと、4部ある。楽しみだ。マンガの「先生と僕」を最近読んで、久々に漱石が読みたくなって、さらに、評論も読んでみたくなって、図書館に行って選んだのがこの本。 本書は、漱石と江戸時代の終焉、明治時代の幕開けが書かれている。漱石の生家である江戸の名主という地位が明治維新で失われていく中、不安定な大人たちのなかで、育った漱石の不安が、その後の彼の人生と作品にいかに影響をもたらしたのかが、丁寧に記されている。 この本は、漱石の物語であると同時に、戦後の日本人の物語に読める。明治維新後の価値観、地位が敗戦によって瓦解した不安感。今までの家や親、職業といったつながりが奪われていく世界。明治という時代の始まりに仮託しながら、戦後われわれはどのように生きていったらよいのかを、漱石の言葉から探っていこうとしているかのようのだ。 そうだとすると、戦後の日本には漱石はいたのだろうか。そして、震災という崩壊後のわれわれに、漱石はいるのだろうか。

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2009/10/04

江藤淳は最後の漱石門弟だと思った。夏目漱石は日本の自我そのものだということを思った。自我を知った者の担う虚無感。そういったものがページを捲る毎に色濃くなってゆく。いったいこのまま漱石はどこへ行くのか。日本はどこへ行くのか(漱石のいた時代に限らず、現在を含めての日本)。だから本書が...

江藤淳は最後の漱石門弟だと思った。夏目漱石は日本の自我そのものだということを思った。自我を知った者の担う虚無感。そういったものがページを捲る毎に色濃くなってゆく。いったいこのまま漱石はどこへ行くのか。日本はどこへ行くのか(漱石のいた時代に限らず、現在を含めての日本)。だから本書が「未完」に終わっていることに私はホッとする。そして、江藤淳の選んだ最後に、私は日本の自我などほって置いて、身近にいる大切な人を、愛そうと思う。

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