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百姓と仕事の民俗 の商品レビュー

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2014/07/06

・田原開起「百姓の仕事の民俗 広島県央の聴き取りと写真を手がかりにして」(未来社)は 書名通りの書である。本書は、「いまだに、名もない多くの民衆の生活のなかには、注目されなかったものや、記録されていないものが多々あるように思える。 (中略)そうした視座に立って、一世代前を歩いた人...

・田原開起「百姓の仕事の民俗 広島県央の聴き取りと写真を手がかりにして」(未来社)は 書名通りの書である。本書は、「いまだに、名もない多くの民衆の生活のなかには、注目されなかったものや、記録されていないものが多々あるように思える。 (中略)そうした視座に立って、一世代前を歩いた人々、とりわけここ五十年間、百姓仕事に携わった人々の生活と思いを、『聴き取り』を中心に掘り起こし」 (「はじめに」14頁)てゐる。つまり、昔、と言つても昭和が中心だが、の百姓仕事がいかなるものであつたかを米作を中心に述べ、それにまつはる民俗的事 象を紹介、説明してゐるのである。農作業そのものは当然として、農に関はるあらゆる物事が、現代の機械化された農業からは想像もつかない時代のことであ る。それが幾昔前かの常態であつた。ところが現在、「日々、高齢者の訃報が続いている。(中略)聴き取りのタイムリミットである。」(同15頁)といふ状況にある。筆者の、本当にそれらが忘れられてしまふといふ危機感である。それが本書を書かせた。私は農業に無縁の人間だが、実におもしろいと思ひつつ読んだ。それが本書の価値であらう。 ・「はじめに」でも触れられてゐるが、本書では牛のことがかなり多く書かれてゐる。第一部「百姓の四季」の第一章は「人と牛」と題されてゐる。この最後で わざわざ妖怪クダン(件)にまで触れてゐるのは、それほどかつては牛が身近であつたといふことであらう。「牛馬の糞尿を肥料にするために飼うことが多かった。」(21頁)と最初にあるが、しかし必要な時に牛馬を農耕に使つたのは当然のこと、そこでこんなことも起きる。牛は「人間の指示に従つてよく働きま す。黙って働くことをよいことにして、わしは、あるとき牛を酷使しました。一日が終わって、鞍を外し畜舎に帰るように仕向けたが、なんと酷使した恨みか、 わしに角で突きかかってきました。(中略)だまって働くことをよいことにして酷使したら、人間並みに腹をたてたあの日のことを思い出します。」(22頁) 牛はただ黙つて人に従つてゐるのではない。腹をたてる時には腹をたてるのである。のみならず「牛馬も相手を見る。」(232頁)し、「扱い方がうまくないと相手を侮って動かない。」(同前)女子供が牛を使つて農作業しようとしても、牛が言ふことを聞かないのである。本書の「筆者もその場に立ったことがある。」(同前)と書くやうに、これは戦時中などでは多くの女子供が経験したことであるらしい。 私などは百姓仕事を知らない、まして農耕に牛馬を使はといふことは、書物や田遊び等からの知識としてはあつても、具体的には何も知らない。だから「牛馬も相手を見る。」などと言はれるとただただ驚く。いかに牛馬とて魂を持つ身、嫌なことは嫌なのである。反対に、大切にしてやれば、当然、それなりに反応してくれる。「牛をかわいがっていた父でしたから、牛も父を信頼していました。気脈の通じた間柄で云々」(23頁)などといふ関係になれば、農作業もはかどるのである。かういふのは百姓仕事の基本中の基本、あるいは前提とでも言へることであらう。私はそれを知らないから、本書に具体的に書いてある農作業のことよりも先に牛のことに目が向いてしまふ。しかし、これは今の農作業では絶対に味はへないことである。正に忘れられてしまつたこと、筆者が是非書き留めてお きたかつたことでもあらう。だからこそ筆者は巻頭の一章の80頁分を費やして牛のことを書いた。かういふ人と動物の関係はある意味では普遍的なものである。これを読んでやはりさう思ふ。牛の話だけでも本書を読む価値はあらう。

Posted byブクログ