なぜ、スポーツ選手は不正に手を染めるのか の商品レビュー
スポーツ選手の「不正」といえば、まず思い浮かぶのはドーピング。なんですが、サッカーでいうところのマリーシア的なことについても、言及されていたりします。 そこまで「不正」というくくりに入れてしまうと、ルールのアソビがなくなってしまうと思います。そのルールのグレーゾーンを許してしまう...
スポーツ選手の「不正」といえば、まず思い浮かぶのはドーピング。なんですが、サッカーでいうところのマリーシア的なことについても、言及されていたりします。 そこまで「不正」というくくりに入れてしまうと、ルールのアソビがなくなってしまうと思います。そのルールのグレーゾーンを許してしまうことが、遠い遠い要因の一つって言われてしまうと、楽しめないなぁ。 ま、ドーピングは「だめ・ぜったい」ですがね。アームストロングの一件は衝撃なんてものじゃなかったですし。 個人の欲求だけでなく、国挙げてのドーピングもあったりするので根絶には、まだまだ長い時間がかかりそうです。 「2mってすんげえだろ!?もし必殺殺人サーブと身長2mどっちか今スグ貰えるっつったら絶対2mだね!だってサーブはがんばれるけど身長はがんばるも何もねえし」とは選抜合宿中の百沢を励ました日向の言葉。ハイキューですよ。 そこに「身長に関わる魔法のクスリがあるよ。副作用なし、ばれることもない」と悪魔が囁いたら?ってことですよね。 人間の底の底に眠っている欲求。根深い。 ドーピングなくなるには、いっそのことそれ前提にならないとダメなのかもしれない。 コーディネーターとかさ。
Posted by
「なぜ、スポーツ選手は不正に手を染めるのか」というタイトルではあるが、実質はサブタイトルの「アスリート不正列伝」である。現代は「Foul Play: The Dark Arts of Cheating in Sport」。こういうタイトルはやめようよ、毎度ながら。 さて、そ...
「なぜ、スポーツ選手は不正に手を染めるのか」というタイトルではあるが、実質はサブタイトルの「アスリート不正列伝」である。現代は「Foul Play: The Dark Arts of Cheating in Sport」。こういうタイトルはやめようよ、毎度ながら。 さて、そういうわけで、不正のオンパレード。不正と聞くと僕はドーピングを想像するが、賭博にまつわるカネ、インチキ、マインドゲーム。不正にもいろいろある。 ドーピングは駄目で高地トレーニングはよい、というのはどうしてなのか。その答えは、不公平だから、だけではない。死んでしまうこともあるからだ、と。まあ、過度のトレーニングでも長生きはできなくなるのではないかなあ、などとも思うけど。 サッカーのシミュレーションは、ゲームの一つとしてファンも理解しているが、ラグビーでそれをやれば紳士的でないと批判を免れない。協議文化によって不正も違うし、もちろん時代によってもルールは違う。不正とその反対のドーピングを極めた記録を見たい人、というのもこの世にいるかもしれない。ファンがそのスポーツとの間にどんな絆を求めているか。あらゆるスポーツに絆を求めていない僕には、どうもここのところの深刻さがわからない。 不謹慎かもしれないが、倫理のことを考えるよりも、不正のテクニック集として楽しんだほうがスッキリするようだ。ドーピング違反者たちの言い訳を楽しむ、というのは著者も触れている。みんな愉快だ。けれど、ドーピングの悪影響を考えれば愉快などと言っていられなくなる、と。 ああ、愉快だと突き進んだ僕は倫理上問題なのだろうか。けれど、誰にも罰せられることもない。もちろん賞賛もない。読書がスポーツでなくてよかった。
Posted by
ちょっと期待はずれでした。 クリケットにおける不正の話をされても、日本人にはイメージしづらいので。 ※もちろん、他のスポーツの不正の話の方が多いのですが。 もう少し、具体例を絞って、一つ一つを掘り下げた内容を期待していたので、たくさんの例をひたすら並べたような構成には、...
ちょっと期待はずれでした。 クリケットにおける不正の話をされても、日本人にはイメージしづらいので。 ※もちろん、他のスポーツの不正の話の方が多いのですが。 もう少し、具体例を絞って、一つ一つを掘り下げた内容を期待していたので、たくさんの例をひたすら並べたような構成には、少々辟易しました。 原作を訳すのではなく、原作をもとにした日本版でもつくらないと、日本では受け入れられにくいと思います。
Posted by
- 1