英語教育の素朴な疑問 の商品レビュー
SLA研究から今の時点で分かっている言語習得に関する知見を、教室の現場にあてはめてみて、指導や評価のあり方を分析したもの。 各章ごとに「英語の授業は楽しくあるべきである」、「文法は形式練習をしっかりやっておけば、コミュニケーション活動をしているうちに適切な使用ができるようにな...
SLA研究から今の時点で分かっている言語習得に関する知見を、教室の現場にあてはめてみて、指導や評価のあり方を分析したもの。 各章ごとに「英語の授業は楽しくあるべきである」、「文法は形式練習をしっかりやっておけば、コミュニケーション活動をしているうちに適切な使用ができるようになる」といった"Reflective Exercise"がついており、それぞれの質問に「思う」、「どちらかと言うと思う」、「どちらかと言うと思わない」、「思わない」から選んで、まず読者がどういう「思い込み」をしてしまっているのか、炙り出そうとしている。通読すれば、英語教師が知っておくべきSLAの知識が得られて、便利だ。けど既にSLAを勉強した人や類書を読んだ人にとっては、そんなに突っ込んだ内容の話もなく、SLAの入門書を復習するだけのような感じにもなっている。やや最終章のリンガフランカとしての英語、ジャパニーズ・イングリッシュの話が取り上げられているのが特徴的と言えば特徴的だろうか。 気になったところをいくつかメモしておく。「英語教師はただやみくもにインプット、アウトプット、インタラクションを取り入れればいいというわけではありません。これらがいずれも生徒に気づきの機会を与えるように、教室では、意味を中心とした活動の中で、同時に生徒たちの意識を形式に向ける工夫が必要になります。」(p.37)という部分は、確かにとりあえず何かの形式を使わせて「アウトプットした」ということにするだけではダメだということだと思う。英語授業の「アイデア集」というのがよく出ていて、おれもよく参考にするけれども、ああいう活動を行って本当に力がつくのかどうか、ただその場しのぎの「(一見)楽しい」活動に終始していないかどうか、点検する必要があると思った。そして「文法の練習問題の後、十分に段階的な練習をさせることなく生徒に学習言語でアウトプットをさせようとしてしまいます。つまり、形式練習から意味伝達を意図した言語活動への段階的移行を経ずまた十分な準備段階もなく、形式か意味伝達かという二車線宅の練習形態になっているのです」8p.88)という部分、脚注にある高島先生の本も読んで、もう少し勉強したい(高島先生の本は持っているのに、まだ全然読まないままここまで来てしまっていた)。あとはライティング指導が難しいけれども、やっぱり「生徒に『執筆者』としての自覚を持たせる」(p.156)というところが印象に残った。「自己点検リスト」(pp.140-1)の活用も去ることながら、やっぱり「『先生が直してくれるから』という起用し依存」(p.147)の状態はよくないと思う。そして、「ピア・レビュー」の方法を教えること(「文法チェックや正しいコメントをすることではありません」(p.138))という部分を、今後やってみたいと思った。(17/11/17)
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