承 井上雄彦 の商品レビュー
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さすがバガボンドを描いた人だ、と。僕はバガボンドは単行本で追ってるだけですが、武蔵が田んぼをやる場面はグサグサ刺さりました。そのテンションで伊勢神宮について描写しています。お伊勢さんを歩いたことのある人なら鳥肌ものじゃないでしょうか。出雲大社、諏訪大社も訪れる。 伊勢、出雲、諏訪で井上雄彦がそれぞれ対談しているんだけど、読んでて涙が出た。表現者としての最前線にありながらバガボンドの沢庵和尚のような。完全にコントロールできない偶発性を求めてバガボンドを筆で描いていたり、表現者として共感する部分もありながら尊敬の一言。 そして、というかやはり、頼りなさや弱さなどのフラジャイルな要素を大切にしているのがわかる。松岡正剛のフラジャイルを読んだあと、たしかに僕の世界は変わったようで、何か読む度にそれを実感する。
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魂が消えてしまう「魂が消える」から「たまぎえる→たまげる」 稲は「命の根」が約まったものともいわれている。 ブルーノ・タウトは「桂離宮は泣きたいくらい美しい」って名言を残した。
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本屋で本を買い、取寄せを頼んでいるときにカウンターにあった本書に気付く。「あの~。これも買います。」 井上さんの漫画はバカボンドしか知らないが、これ程の画力の漫画家は過去にもいなかったと思う。 伊勢、出雲、諏訪の宮司さんへのインタビュー。深遠な話をされているのだけど、伝わりにく...
本屋で本を買い、取寄せを頼んでいるときにカウンターにあった本書に気付く。「あの~。これも買います。」 井上さんの漫画はバカボンドしか知らないが、これ程の画力の漫画家は過去にもいなかったと思う。 伊勢、出雲、諏訪の宮司さんへのインタビュー。深遠な話をされているのだけど、伝わりにくい。 建築探偵&建築家の藤森照信さんとの鼎談にキリスト教も儒教も、仏教も、イスラム教も神様は言葉の中にいる。神道は言葉になるものは本物ではない、みたいな考え方があると、話されている。日本の神の話がどうしても言葉では伝わりづらいのは仕方がないことかな。 式年遷宮の総棟梁氏へのインタビューやお白石持行事への参加ルポも含め、写真や井上さんのスケッチもあいまって、ジワジワ伝えわってくる印象。 DVD付き。藤森さん宅の玄庵の襖絵が気になる。龍と笛を吹く子供の絵。本間利依氏の作とのこと。高過庵や空飛ぶ泥船も登場。
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いまや、単にマンガ家というよりは<求道者>の域に達しつつある著者が、「内部を再発見」すべく、伊勢神宮の式年遷宮を契機に、伊勢神宮、出雲大社などを訪れた。 神宮へ奉納する墨絵『承』や著者の言葉が深い所から生まれてきたことが分かる。また、4人の関係者、建築家との対談・鼎談も、密度...
いまや、単にマンガ家というよりは<求道者>の域に達しつつある著者が、「内部を再発見」すべく、伊勢神宮の式年遷宮を契機に、伊勢神宮、出雲大社などを訪れた。 神宮へ奉納する墨絵『承』や著者の言葉が深い所から生まれてきたことが分かる。また、4人の関係者、建築家との対談・鼎談も、密度が濃い。 神宮司庁の河合真如広報室長との対談では、人が森や社、自然とどう関わってきたから始まり、自然科学的な知見まで取り込みながら、生命の根源にまで深まっていく。 出雲大社の千家和比古権宮司との対話では、「ばんじまして」という夜の時間のはじまりの挨拶を巡って、闇の時間であるカオスについての考察へと向かう。(「こんばんわ」という挨拶の中にも、その名残があるのかもしれない) 建築家である藤森照信氏とは、創造する二人の間で濃密な時間が流れる。話題は日本から世界へと広がり、やがてガウディにも及ぶ。そして、万物に精霊が宿るという原始的な自然信仰、生命信仰への原点回帰の重要性が熱く語られる。附属のDVDに収録された映像からは、藤森氏の手になる<高過庵>の空間の面白さも伝わって来る。 さらに、式年遷宮に3回関わった宮大工宮間熊男氏を加えた会話では、「神さんの住まわれる御殿を造るんだから、見えない所にも気を配る」というさりげなく語られた職人の言葉が重く響く。 著者は、こうした多くの人との会話からエネルギーを吸収して、「大人の鑑賞に耐えうる」新たな創造へと向かうに違いない。それが、『バガボンド』などの作品に、どのように結実するのか楽しみになってきた。
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