国際法上の自衛権 新装版 の商品レビュー
大枚叩いて古書を入手しようかどうか躊躇していたところ、待望の復刊(しかも比較的リーズナブルな価格)が実現したので迷わず購入。版元の良識に敬服する。自衛権が刑法上の「正当防衛」からの類推で理解されてきたそれまでの通説を覆し、歴史的には「緊急避難」に近い概念として提唱され、学説として...
大枚叩いて古書を入手しようかどうか躊躇していたところ、待望の復刊(しかも比較的リーズナブルな価格)が実現したので迷わず購入。版元の良識に敬服する。自衛権が刑法上の「正当防衛」からの類推で理解されてきたそれまでの通説を覆し、歴史的には「緊急避難」に近い概念として提唱され、学説として定着してきたことを実証した画期的な本である。 簡単に言えばこうである。自衛戦争が正当化されるのは、それが「不正な侵害」への反撃だからではない。戦争をいわば天災のような「緊急事態」と捉えるならば、それから身を守るために止むを得ない場合には、「不正な侵害」があろうとなかろうと、第三者(国)も含めた他人(国)の権利を侵害することも許される、という理屈である。これは正邪の問題ではなく冷徹なリアリズムだ。そこに着目したというのはがさすが現実主義の国際政治学で一時代を築いた高坂正堯氏の師匠である。 このことが重要な意味を持つのは、パリ不戦条約を嚆矢として国連憲章に受け継がれる「邪悪な侵略さえ防止すれば戦争はなくなる」という安易な理想主義的楽観論の盲点を鋭く突いているからである。しかも理想に現実を対置して居直るのでないところが田岡博士の偉いところである。もし国内法上の正当防衛のコロラリーとして自衛権を位置付け、従って戦争は原則禁止、例外としての自衛戦争のみ許容するという「新自衛権概念」を受容するのであれば、国家が刑罰権を独占するのと同様に、国際機関も実力による制裁を発動できるのでなければその実効性はないとして国連改革を提唱し、それに向けた国際法学者の責任を強調するのである。 集団的自衛権論議が喧しい今、自衛権の意味を問い直す上でまず第一に手に取るべき書物である。戦時国際法の古典とも言うべき「空襲と国際法」「戦争法の基本問題」も合わせて復刊されることを切に願う。これらの名著が大規模図書館ですら個人の閲覧ができない状況は国家的損失と言ってよい。(国立国会図書館がデジタルアーカイブ化に踏み切ったことはせめてもの救い)
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田岡先生の考える自衛権行使の要件については今日受け入れる人は少ないような気がするが、結論部分で述べられてる、国際法学者はどうあるべきかみたいな話は、国際法に関心を持つものとして参考になった。
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私個人の意見としては、他国のための防衛は、厳重な枠を設けて制限すべきであると考える。本来自衛は、社会組成員が社会機関の命令や認可によらないで、他の組成員に武力その他の強制手段を加えることであり、この権利を「他国の防衛」にまで拡げることは、強制手段に参加する組成員の数を増し、社...
私個人の意見としては、他国のための防衛は、厳重な枠を設けて制限すべきであると考える。本来自衛は、社会組成員が社会機関の命令や認可によらないで、他の組成員に武力その他の強制手段を加えることであり、この権利を「他国の防衛」にまで拡げることは、強制手段に参加する組成員の数を増し、社会平和の破壊を拡大する結果を生ずる。しかし国際司法裁判所または仲裁裁判所の判決を履行しない国に対して強制を加える場合のように、強制を受ける国(A)の違法性が、強制を加える国(B)の独り判断で決められたのではなくて、第三者的の立場から紛争解決の任に当たる国際機関の判断で決められたのである場合には、Bの足りないとき第三国がBに力を貸すのは、国際法の維持のために善いことであり、その故に、右に述べた不利益―強制に参加する国の数を増し、平和の破壊を拡大するという--も償われるであろう。故この場合に第三国の防衛参加は認めてよい。 (著者)
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