1,800円以上の注文で送料無料

終活なんておやめなさい の商品レビュー

3

11件のお客様レビュー

  1. 5つ

    1

  2. 4つ

    2

  3. 3つ

    3

  4. 2つ

    0

  5. 1つ

    2

レビューを投稿

2022/04/22

葬式、墓、戒名の由来を知ると、結局は、お寺のビジネスであり、本来の仏教とかけ離れていると説く。 後半は、どう生きるべきかについて、仏教の視点から、書かれている。 終活ビジネスが盛んだが、死ぬまで、いや、死んだ後まで、 お金に追いかけられるのかと、バカバカしく思えてきた。

Posted byブクログ

2020/12/12

東大でインド哲学と仏教を学び、宗教評論家という肩書を持つ著者のペンネームは、哲学を意味する「フィロソフィー」とサンスクリット語の Satya(真実)から取ったという筋金入りの宗教マニア。 仏教の開祖であり、80歳で死去(入滅)するまで教えを説いた釈迦が「死」について語り続けたのは...

東大でインド哲学と仏教を学び、宗教評論家という肩書を持つ著者のペンネームは、哲学を意味する「フィロソフィー」とサンスクリット語の Satya(真実)から取ったという筋金入りの宗教マニア。 仏教の開祖であり、80歳で死去(入滅)するまで教えを説いた釈迦が「死」について語り続けたのは「死後について一切考えないこと」であるという。自分が死んだあとどうなるか、などいくら考えても分からない。ならば下手に考えるよりも、今の楽しい人生を生きる事こそが終活なのだ、というのが釈迦の教えであると解説。「遺言書は残すな」「お墓はなくてもいい」など、仏教のプロが提言する「終活しないススメ」。

Posted byブクログ

2015/10/31

自分たちの知らなかった仏教の、本来教えんとする部分について知ることができます。 故に「随分空虚な考えだなあ」と感じることもありました。 後半からは「人と人との助け合いの大切さ」や「自分の感情を大切にすること」に内容が移ってゆく感じがします。 それを見ていると「終活」とは、本来な...

自分たちの知らなかった仏教の、本来教えんとする部分について知ることができます。 故に「随分空虚な考えだなあ」と感じることもありました。 後半からは「人と人との助け合いの大切さ」や「自分の感情を大切にすること」に内容が移ってゆく感じがします。 それを見ていると「終活」とは、本来なすべき義務をなさず、人を押しのけて、自分だけの安息を求めようとする行為なのだろうか、と考えてしまいました。 あの世で使えない財産を残す以外にも選択肢はいろいろあるということでしょうか。

Posted byブクログ

2015/10/29

教員免許更新講習で紹介された本。宗教家の本なんて初めて読んだ。本題の哲学的な部分よりも墓参りの起源とか年中行事の意味とか民俗的な解説の方が面白かった。でも中々深い事も書いてありタメになった。

Posted byブクログ

2015/07/29

終活のテーマとなる葬儀、位牌、墓、法事etcが、実は仏教のあるべき姿とはかけ離れたものであり、基本的には宗政複合体の利益維持のために「つくられた」後付けのならわしにしか過ぎないということを、軽妙な語り口で解説されていく。 死後のことにあれこれ悩んで少なくない金銭を費やすより、生き...

終活のテーマとなる葬儀、位牌、墓、法事etcが、実は仏教のあるべき姿とはかけ離れたものであり、基本的には宗政複合体の利益維持のために「つくられた」後付けのならわしにしか過ぎないということを、軽妙な語り口で解説されていく。 死後のことにあれこれ悩んで少なくない金銭を費やすより、生きているうちに家族と、知人と語り合い、現世を十分に生きることそのものが、なによりの「終活」なのだと説いているようだ。 とても合理的で説得力十分な内容、しかも阪神タイガースの存在意義によってあとがきを〆るあたり、さすが、大阪人である。

Posted byブクログ

2015/01/11

善人なほもて往生をとく、いはんや悪人をや 人は多面的、善人と悪人が同居している。だから、誰かを悪人にすることでしか人は善人になれない。 「葬式なんかやめなさい」と進言したら、坊主の本音「葬式やめたら、食っていけなくなります」ビジネス葬儀 忌とは49日までの期間で、この間は死の...

善人なほもて往生をとく、いはんや悪人をや 人は多面的、善人と悪人が同居している。だから、誰かを悪人にすることでしか人は善人になれない。 「葬式なんかやめなさい」と進言したら、坊主の本音「葬式やめたら、食っていけなくなります」ビジネス葬儀 忌とは49日までの期間で、この間は死の穢れをまとっているため他人との接触が禁じられています。その後は喪の期間となり、身を慎んで生活することが求められます。だいたい三回忌まで。 ご先祖様の年忌法要を真面目にやっている人たちは、江戸時代以降の歴史のなかで語られてきた、お坊さんたちの参百代言の口車に乗ってしまっている。 檀家は江戸政府の苦肉の索 幕府がもっとも怖れ、神経を尖らせたのは、キリスト教徒がキリスト教式の葬式を行うことでした。そこで幕府が通達したのは、寺が葬式をおこなうべし、という命でした。 葬式で唱えられるお経は、出家したばかりの死者に仏教の法を説くためのもの。 院号のついた戒名をもらって、ありがたがっている遺族がいますが、戒名料はバカ高い。その実態は、死んでから出家させられ、修行させられ、おまけに隠居までさせられた、ということ。 靖国神社 「現人神」である天皇が靖国神社にお祀りするから、戦死者はすぐにもカミに、すなわち英霊になれる、としたのです。 人は何も持たない裸で生まれてきて、何ものも持たないで還っていく。その道理に気づくことが、生死をあきらめることだと思います。 金勘定に躍起になっている終活と、自分の中にお浄土をつくることに幸せを感じる終活。 四苦とは、相対性のない絶対的な苦。逃れようがない。 煩悩の火をかすかなものにしてお浄土に行く。これは、かなり上等な終活だと思う。

Posted byブクログ

2014/11/03

遺言書は、無用、無視、無視、というところ、いいですね。   阿弥陀仏に導かれて、みんな、お浄土に行くのだから、それで御仕舞い。 あれこれと、故人の事を、思い煩うことはなく、忘れるという供養もあるそうです。 死という物は、老いという形で、みんなの中で、日々育っているようです。自分の...

遺言書は、無用、無視、無視、というところ、いいですね。   阿弥陀仏に導かれて、みんな、お浄土に行くのだから、それで御仕舞い。 あれこれと、故人の事を、思い煩うことはなく、忘れるという供養もあるそうです。 死という物は、老いという形で、みんなの中で、日々育っているようです。自分の中で、深まり行く死をしみじみ思いつつ、暮らしてゆくことが大切。逆に言えば、毎日、心の中に、お浄土を作っていっているともいえますね。 そして、年齢を重ねたら、助け泊り、助け食事、助け飲み、ですね との事であります。

Posted byブクログ

2014/11/02
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

正論。その通り。ブッダの教えとは、別離の苦しみ・悲しみのために、心を覆われたままでいることを執着であると悟ること、過去ではなく今を生きること=故人を早く忘れること。 葬式仏教と檀家制度による民衆の管理は、はキリシタンの葬儀を禁じた徳川幕府の指示。奈良南都六宗は、葬式を行わない。戒名は、在家者ではなく、出家者=僧侶の葬儀のみ行っていた僧侶が、在家者を出家者として弔うためつけるようになった。葬儀の読経も、出家者となった故人のため。位牌は、中国儒教の伝統。墓石は、アニミズム・神道的な、死人が化けて出ないための重石。ホトケとは、カミになる前の鎮められない霊。香典とは、親族が嫡子=喪主に渡すもの。他人は不要。お返しは失礼。忌中とは物忌み=神道。黒い穢れ=死者。赤い穢れ=女性・出産。喪に服すのは儒教の考えで、期間は喪主3年。一周忌、三回忌、7回忌、33回忌、50回忌まで、だんだん長くなる、これは神道。 盂蘭盆会も、日本で発生。浄土真宗は、1970年代まで、否定的だった。正月は、先祖を招く。晦日の夕方が元旦の始まり。雑煮は、お下がり。お年玉も餅のお下がり。 終活とは、エゴイズム。遺言は、裁判にならない場合は、無効。 家制度=墓守りは、長子相続が否定された現在の民法の平等主義のもとで、すでに崩壊している。

Posted byブクログ

2014/10/17

こんなに酷い本、読むに堪えない本はそう滅多に出会えるものではなく、その意味においては貴重とも言えなくはない。 著者には「知識はあるが智慧はない」ということなのだろう。一日も早い絶版を望むばかりである。

Posted byブクログ

2014/06/21
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

お盆はホトケを迎える神道行事 葬式の三つの仕事①死体の処理②霊魂の処理③遺族の心の処理 自分の人生経験のありったけを譲り渡す。それこそが相続 

Posted byブクログ