ふたり暮らし【義母と甘えん坊な僕】 の商品レビュー
作者初の単独ヒロインも変わらぬ激甘テイストで
1985年4月に『叔母・二十五歳』(著:鬼頭龍一、現在はフランス書院文庫-センチュリー・ルネッサンスより再販)で創刊した官能小説の草分けにして今も最大手の老舗が、29年ちょうどの時を経た2014年4月で通算2000タイトルを突破したことにまずはお祝い申し上げる。その記念すべき節目...
1985年4月に『叔母・二十五歳』(著:鬼頭龍一、現在はフランス書院文庫-センチュリー・ルネッサンスより再販)で創刊した官能小説の草分けにして今も最大手の老舗が、29年ちょうどの時を経た2014年4月で通算2000タイトルを突破したことにまずはお祝い申し上げる。その記念すべき節目として選ばれたのが本作である(オビを見ると選ばれた理由も分かるというものである)。また、本作は神瀬作品として初の単独ヒロインであり、その新たな挑戦もまたレーベルの未来を重ねようとの思いがあるのかもしれない。 16歳の高校生主人公に相対する本作唯一のヒロインは36歳の母である。サブタイトルが盛大にネタばらししているのだが、実母だと思っていたら義母だったというドラマが実は冒頭にあり、これが日頃より想いを馳せていた主人公の行動のきっかけとなる始まり方である。 1人のヒロインを最初から最後まで描くために、母は当初あくまでも「母」として息子(主人公)に接しているのは定番であり、その意味では過去の単独ヒロイン相姦作品の例を踏襲しているとも言える。ただし、基本的には真面目でしっかりしているもののサブタイトル通りに甘えん坊でもある主人公が想いを成就すべく大胆に行動してくる中で、それに困惑しながらいなしつつ諌めようとする母の振る舞いには例えば『二人の先生は僕の危険な恋人』(著:秋月耕太)の前半に見られた関係と似たものも感じられるため、最近の「迫る男に困惑する女」の構図も上手に取り込みながら高い淫猥度が追求されているようでもある。 しかし、息子への想いと焦らされ続けて燻り捲る発情と欲望が禁忌の懊悩を超え、度重なる迫りにとうとう観念するかのように体を許すのが中盤の終わり頃なため、裏を返せばそこまでは頑なに最後の一線は守り通す母だけに、官能面では僅かばかりの物足りなさもあると言わねばなるまい。代わりに想いを解放して以降の終盤はヤリ捲り三昧ではあるのだが、所々で説明的に端折られてしまうためにギャップの破壊力をもう少し望んでしまうかもしれない……もっとも、神瀬作品だからこその贅沢な話であり、一般的な尺度ならば相当に淫猥ではあるのだが。 あと、最後の最後まで存在感が無きに等しかった父親を絡めた結末は余りにも歪過ぎる「新たな家族」の姿ではあるが、同時に神瀬作品らしい妙味のある幕の引き方とも言えるものであり、そもそも最後の最後まで「母」でい続けようとすることで引き起こされる悲劇が常だった過去の相姦作品群に比べ、息子の恋人として「女」にメタモルフォーゼするのは最近のテイストでもあり、元よりその歪な愛情物語こそが神瀬作品の真骨頂だとすれば、本作は王道的な単独母子相姦の流れにありながら、同時に徹頭徹尾作者のカラーに染め上げられた、まさに神瀬印の作品でもあると言えるだろう。 個人的には、真摯な愛情を真っ直ぐに貫き通してきた息子が最後の段になって玩具を用いた軽い調教気味の責めを施したのは決して悪くはないのだがちょっと色が違うと言うか、スイーツバイキングで様々な甘さを堪能していたら最後に何故かニンニクからっきょうが置いてあって「?」みたいな違和感というか、つまりは蛇足だったかなと思わないでもなく。
DSK
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