日本中世百姓成立史論 の商品レビュー
古代律令国家の税制下からの脱却を目指した富豪層は、10世紀に王朝国家体制のもとで「負名」として掌握され国司・国衙に直結する「百姓」身分に位置付けられたが、こうした支配体制からさらに脱却し、自らの経営組織の拡大するための方便として、荘園と公領を股にかけ、あるいは国衙には荘園の「住人...
古代律令国家の税制下からの脱却を目指した富豪層は、10世紀に王朝国家体制のもとで「負名」として掌握され国司・国衙に直結する「百姓」身分に位置付けられたが、こうした支配体制からさらに脱却し、自らの経営組織の拡大するための方便として、荘園と公領を股にかけ、あるいは国衙には荘園の「住人」といい、あるいは荘園領主へは「百姓」といいながら次第に農民的結合を強めていく。著者は、「住人等解」の文書様式が中世的な「百姓等申状」へ発展していく過程を辿ることにより中世「百姓」の成立を展望する。 第Ⅰ部は「住人等解」の分析による「住人」の成立を論じる。11世紀後半には「荘司等解」は「住人等解」に発展しつつあったが、まだまだ過渡的存在であった。そして、その成立は、一国平均役や国役を免れるために逃散と並んで使用された手段としてであり、中世の荘園公領制での領主-農民関係の展開の中で「住人」=在地社会と権利を確保する有効な役割を果たしていたとし、12世紀初頭には、荘官層との連署状態を脱却して「住人等」と呼ぶにふさわしい組織が形成され、政治的な役割を果たすような「公」性を持ったとしている。若干論証が羅列的で単調なきらいはあるが、「住人等」の形成過程の論述にダイナミックなうねりが伝わってきてなかなか面白かった。 第Ⅱ部は網野善彦の「平民-職人」論に対して、「中世百姓」の成立を包括した論理を展開した上で、「百姓」身分の成立を論じるものであるが、自分としては式目四二条論争の現状を確認できたのが良かった。去留民意文言についての網野-安良城論争に代表される刺激的な「百姓の移動の自由」論争の行方として、現在は年貢皆済を前提とした「逃散」に対する領主側の妨害阻止が法意であったとする入間田宣夫の学説が有力であるとのことで、しばらく遠ざかったいる間にこのような状況になっていたとは恥ずかしながら驚きであった。おかしいなあ、入間田の『百姓申状と起請文の世界』も読んだはずだったのだが・・・。(苦笑)著者はさらに式目四二条を再検討した上で、イエ内部の妻の権限を含む自立性や不可侵性を社会的実態として法意に含むとするが、式目四二条だけの文言からそこまで含意しているとはやはり少し飛躍の感が否めないと思う。(著者は『日本歴史』七八四号での研究史の俎上に上がらなかったことに憤りを持っておられるようだが・・・。(笑))元来指摘されてきた「浪人招寄せ」と「百姓の移動の自由」の関係において、1年間の農業生産サイクルの視点から実態としては存在しない状況であったとする論証はなかなか興味深い。「百姓等申状」が著者のいう政治闘争の手段であったのか、あるいは荘園制統治システム内の文書であったのかの評価はわかれるが、今後の分析に期待したいところである。 第Ⅲ部は上申文書である「解」と「申状」について、それぞれ「解」が変化・分解しながら平安前中期には「住人等解」となっていく様相と、それが中世的な「申状」へと指向するに至る系譜について論じる。古文書様式論をベースに進められる割と煩雑な論証ではあるが、残存文書を時系列にした圧倒的なデータ整理力が見せつけられるだけでかなり萎縮してしまうのだが(笑)、網羅的な分析には説得力を感じる。もとより本論文集自体が島田次郎が最初に整理した「住人等解・百姓等申状」をベースに出発しており、古文書のデータ解析的な手法による新知見に今後も期待する。 余談だが、久しぶりに社会経済史的視点の歴史学専門書を読んでとても懐かしい気分に浸れた。(笑)
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