近代沖縄教育と「沖縄人」意識の行方 の商品レビュー
民族誌→琉球史→教育史ときて、おきなわの教育の行く先を探っている。 まだ読んでいない本がある。なぜならこのタイミングを待っていたからだ。沖縄教育史を読み、これからパウロ・フレイレ「被抑圧者の教育」を読むことの必然性を感じる。 本書が多くの資料に基づき、沖縄の教育について読...
民族誌→琉球史→教育史ときて、おきなわの教育の行く先を探っている。 まだ読んでいない本がある。なぜならこのタイミングを待っていたからだ。沖縄教育史を読み、これからパウロ・フレイレ「被抑圧者の教育」を読むことの必然性を感じる。 本書が多くの資料に基づき、沖縄の教育について読み解いていく中、特に目にとまるのは『沖縄方言』について。 【政治的な動きと関わる教育】 差別からの脱却としての教育。【同化】。同じ土俵に立ち、発言権を得るための沖縄の教育。 【生活語としての方言】とくに心に響いた部分を抜粋する。以下~。 ~~~~~「心から覚めた子どもたちと拙い言葉でもいい語りたい。真実の叫びで語りたい。私は内実的な誠意のない標準語を強要はしない。生活的真実のひらめきのある方言、いや生活語、どこが悪いといふのだろう。いつはりを堂々といふのが教育ではない筈である。わたくしを犠牲にしておほやけに従属させ、容易におほやけのためにわたくしを投げ出せをいふ事ではない筈です。方言、生活語、力強いひびきをもった言葉ではないか。よそ行き的なお上品な舌ざわりのいい標準語を強制的に需要せしめるのが教育ではない筈です。全人格と全人格の接触、それを方言するなとは子どもを殺す言葉としか思われない。魂のひらめき、第一義的な子どもの言葉、何故聴こうとしないのか。まろらかに転びながらこの児童達の心の声を聴きたいものである。心の声で語りたいものである。(真木滴)~~~~~ 国際教育といわれて久しい。本書の内容は英語教育のそれとも通じるものがある。
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