小林秀雄 学生との対話 の商品レビュー
「語りえぬもの」に対し「沈黙しなければならない」と言ったのはウィトゲンシュタインだが、小林秀雄はぼくたちにとってのそうした「語りえぬもの」について(たとえば「なぜ生きる」「なぜ学ぶ」などの問いについて)、その問いそのものを「臓腑に落ちる」かたちで引き受けた上でそこからその問い自体...
「語りえぬもの」に対し「沈黙しなければならない」と言ったのはウィトゲンシュタインだが、小林秀雄はぼくたちにとってのそうした「語りえぬもの」について(たとえば「なぜ生きる」「なぜ学ぶ」などの問いについて)、その問いそのものを「臓腑に落ちる」かたちで引き受けた上でそこからその問い自体を吟味しようとしているかのように見える。だからここでの小林にはChatGPTに期待されるような「歯切れのいい」答えはなく、ただその吟味からくる慎重にして丁寧な思索が展開される。それはぼくにとってはしっくり来る答えでもありタメになる
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小林秀雄氏が「全国学生青年合宿教室」で行った講義と、参加した学生や青年との質疑応答の記録をまとめた一冊。 氏の文学や科学についての話はやや難解だがおもしろい。本居宣長を例に説く歴史を学ぶ姿勢はなるほどと思えたし、ソメイヨシノを「一番低級な桜」とする氏の意見も共感できる。 また...
小林秀雄氏が「全国学生青年合宿教室」で行った講義と、参加した学生や青年との質疑応答の記録をまとめた一冊。 氏の文学や科学についての話はやや難解だがおもしろい。本居宣長を例に説く歴史を学ぶ姿勢はなるほどと思えたし、ソメイヨシノを「一番低級な桜」とする氏の意見も共感できる。 また本書では、対話や質問という行為そのものの意義についても考えさせられる。氏は学生たちに「うまく質問する」ように繰り返し言う。時には「どうしてそんな質問をしたのか?」と反対に問う。学生たちにはなかなかにきつかっただろうが、「先生が予め隠して置いた答えを見附け出す事」など真の学びではないという当たり前のことに改めて気付かされる。
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どんな分野でも、まともに向き合っていると必ず通ることになる、文字通り避けては通れない場所がある。今いる環境に関わらず、歩みを継続していたら必ず通過する場所。真剣にゴールを目指した先人の誰もが、足跡を遺していった道。その道こそを古典と呼ぶのかもしれない。雑多なコンテンツは、古典に通...
どんな分野でも、まともに向き合っていると必ず通ることになる、文字通り避けては通れない場所がある。今いる環境に関わらず、歩みを継続していたら必ず通過する場所。真剣にゴールを目指した先人の誰もが、足跡を遺していった道。その道こそを古典と呼ぶのかもしれない。雑多なコンテンツは、古典に通じるヒントにすぎない。 「問い」と「想像力」について。印象に残った表現を以下に引用する。 <質問するというのは難しいことです。本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ。僕は本当にそうだと思う。ベルグソンもそう言っていますね。僕ら人間の分際で、この難しい人生に向かって、答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない。ただ、正しく訊くことはできる。> <だから諸君、正しく訊こうと、そう考えておくれよ。ただ質問すれば答えてくれるだろうなどと思ってはいけない。「どうしますか、今の、現代の混乱を?」なんて問われてもどう答えますか。質問がなっていないじゃないか。質問するというのは、自分で考えることだ。> <想像力という言葉を、よく考えてください。想像力、イマジネーションというのは、空想力、ファンタジーとはまるで違う。でたらめなことを空想するのが空想力だね。だが、想像力には、必ず理性というものがありますよ。想像力の中には理性も感情も直感もみんな働いている。そういう充実した心の動きを想像力というのだ。> p.143 <とにかく想像力を磨くんです。想像力というものは、さっきも言ったように、空想とは違うのだ。その違いさえ知れば、君は存分に想像力を働かせればいい。想像力は磨くこともできるのです。想像力だってピンからキリまであるから、努力次第ですよ。精神だって、肉体と同じで、鍛えなければ駄目です。使っていないと、発達などしません。想像力も自分で意識して磨いていけばどんどん発達するものです。> p.144 想像力を鍛えること、これを個人的な人生のテーマに設定していた。仕事から人間関係まで、あらゆる活動の根本にこの能力が関係し、とてつもない奥行きを持つことを薄々感じていたからだ。それをこうも見事に言葉にされてしまった。自分自身が感じていたことのはずなのに、そんな自分よりもクリアに言葉にしている人がいる。もっと言葉を鍛えていかないと、自分という存在が消えてしまうぞ。
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科学だけが、表面的に、あまり信じられてしまうと効率性のないものは非科学的であるから能力がないと、人も物もごっちゃに品定めをすることになる。どこかが優秀であっても、どうしてもどこかは劣悪だという結論になる。非倫理的になる。そういうことで苦しむ時世だ。 そういう非倫理は、本居宣長の昔...
科学だけが、表面的に、あまり信じられてしまうと効率性のないものは非科学的であるから能力がないと、人も物もごっちゃに品定めをすることになる。どこかが優秀であっても、どうしてもどこかは劣悪だという結論になる。非倫理的になる。そういうことで苦しむ時世だ。 そういう非倫理は、本居宣長の昔からあって、だから、もののあはれは批評性として今も息づく。交わりの中に居なければ考えたことにはならないという、今ここの、与えられた状況から無心に感覚を働かせることで、降ってくる感触こそリアルだという現象学のようなものにも通ずる。 だから、身体性と言わなくても「考える」というだけで充分だったり、さらには、ちゃんと「生活」するというだけでよいということを教えてくださった。
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質問するというのは難しいことです。本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのです──と書きながら、全国学生青年合宿教室で学生に「質問してくれよ」と無茶を言う著者。 その上での質疑応答なので、著者の回答はもちろん、学生の質問もそれなりに高度なものに。 大和心や大和魂は...
質問するというのは難しいことです。本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのです──と書きながら、全国学生青年合宿教室で学生に「質問してくれよ」と無茶を言う著者。 その上での質疑応答なので、著者の回答はもちろん、学生の質問もそれなりに高度なものに。 大和心や大和魂は、平安期においては漢文の学問や知識に対する、人間味あふれる優しい正直な心を表す語だったという。 また、本居宣長が『古事記伝』を書くまで、古事記は殆ど忘れられていたと。それを正しく読むには、当時の人になり切る想像力が必要だとする。 そして、保守や革新、右翼、左翼といったイデオロギーで徒党を組むことを、「無意味」と断ずる。 「こんな古い歴史を持った国民が、自分の魂の中に日本を持っていない筈がないのです」と。 世間一般で区分けされる思想分類に収まらない幅のある人物に思えるのは、福田恆存氏と共通しているような。 お二人とも、ちょっと難しいのだけれど、他の作品も読んでいこうと思った。
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生前、講演の録音を禁止した小林秀雄の講演を出版社の責任において文字に起こして本にしたもの。録音はCDにもなっている。講演で聴くのと、活字で見ることの印象の違いなどを改めて感じる。本人がどう思っていたかを尊重した上でこうして講演や質疑を読むことが出来るのは結果としては嬉しい。テレビ...
生前、講演の録音を禁止した小林秀雄の講演を出版社の責任において文字に起こして本にしたもの。録音はCDにもなっている。講演で聴くのと、活字で見ることの印象の違いなどを改めて感じる。本人がどう思っていたかを尊重した上でこうして講演や質疑を読むことが出来るのは結果としては嬉しい。テレビで消費されてしまう文化人、知識人とは違う真の文化人のあり方を見つめなおす上で、学生との対話というのは格好の入り口になるのではないかと思う。
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まぁ、何というか、ちょっと変わった(偏屈な)人だなぁと思いつつも、書いてあることは、結構、今まで自分が漠然と思っていたことを、言葉にしてくれた、みたいなところもあったから、読みやすかった。 一番の衝撃は…このやりとりが、もはや一世代も二世代も昔の学生たちの話、ってことね。 今も...
まぁ、何というか、ちょっと変わった(偏屈な)人だなぁと思いつつも、書いてあることは、結構、今まで自分が漠然と思っていたことを、言葉にしてくれた、みたいなところもあったから、読みやすかった。 一番の衝撃は…このやりとりが、もはや一世代も二世代も昔の学生たちの話、ってことね。 今も昔も、ほんま変わらんなー!問いの感じが!!(笑) 答えも、今でも十分通じるね。 それかま最後に残された衝撃でした。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
浅薄な私からすると十分に吟味されたかに思える学生の質問を一刀両断していく小林秀雄。 なんとも高い次元でのやりとりに己を恥じてしまう。 答えをひたすらに見つけようとするのではなくうまく質問するために努力するべし、というのは確かにそうかもしれない、と納得。
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元から苦手意識があったけれど、読めば理解できるものがあるかと思い何とか読み切った。 小林秀雄は素晴らしい批評家だ、という意見に私は同意しかねる。専門用語を独特な解釈を用い、複雑な文章を書く。万人が理解できないような文章を書く人が素晴らしいと言えるのか、と思うのである。 この講...
元から苦手意識があったけれど、読めば理解できるものがあるかと思い何とか読み切った。 小林秀雄は素晴らしい批評家だ、という意見に私は同意しかねる。専門用語を独特な解釈を用い、複雑な文章を書く。万人が理解できないような文章を書く人が素晴らしいと言えるのか、と思うのである。 この講演も学生に「いい質問」を求めているが、その回答の多くは哲学者などの引用だ。そこから何かを感じ取る人もいるだろうが、私には何も引っかからなかった。
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この著書は、小林秀雄氏が九州にて学生と問答を重ねた時の様子をまとめられた一冊である。 時代が流れても変わらない若者の荒削りな姿を小林秀雄氏が鋭く指摘する。 そこで現れるのは、物事を立ち止まって考えようとしていない現代社会の日本人の姿である。 この大きな敵に対してどうやって立ち向か...
この著書は、小林秀雄氏が九州にて学生と問答を重ねた時の様子をまとめられた一冊である。 時代が流れても変わらない若者の荒削りな姿を小林秀雄氏が鋭く指摘する。 そこで現れるのは、物事を立ち止まって考えようとしていない現代社会の日本人の姿である。 この大きな敵に対してどうやって立ち向かうか、批評の神様は、温かくこう語りかけるのであった。 【うまく質問するのは、なかなか難しい。 問題がなければ質問しないわけだが、その問題が間違っていたらしようがないでしょう。 うまく問題を自分で拵えて、質問をしなければいけない。 たとえば、「自分はどう生活したらいいでしょうか?」と質問する。 これは問題を拵えていない証拠ですね。 こんなことはいっさい、人に問うべきことであるか、黙って自分で考えるべきことであるか。 そんなことも考えなければいけない。】 私は、自分の言葉を他者に出す前に、一歩立ち止まって考えている機会がどれだけあるだろう。 非常に心に直接響いてくる問答の数々であった。
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