差別と教育と私 の商品レビュー
著者、上原善広さん、どのような方かというと、ウィキペディアには、次のように書かれています。 ---引用開始 上原 善広(うえはら よしひろ、1973年(昭和48年)7月6日 - )は、大阪府出身のノンフィクション作家。被差別部落出身である事をカミングアウトし、部落問題を中心に...
著者、上原善広さん、どのような方かというと、ウィキペディアには、次のように書かれています。 ---引用開始 上原 善広(うえはら よしひろ、1973年(昭和48年)7月6日 - )は、大阪府出身のノンフィクション作家。被差別部落出身である事をカミングアウトし、部落問題を中心に文筆活動を行っている。 ---引用終了 で、本作の内容は、次のとおり。 ---引用開始 日本の被差別部落を訪ねる旅に事件をおこした兄との思い出をかさね大宅壮一ノンフィクションを受賞した「日本の路地を旅する」。 その上原さんの二冊目の代表作ともいえる作品が誕生しました。 被差別部落で卸の肉屋をいとなむ父は母に暴力をふるい、それぞれが外に愛人をつくり、上原さんの家庭は地獄でした。父親に包丁で刺された母親を病院につれていくところを進学塾に通う級友にみつけられ、はやされ、幼い上原さんは、行き場を失って荒れていきます。家庭が闘争状態にあった上原さんは、小学生だったにも関わらず酒を飲んで登校、学校で暴力をふるうようになっていたのです。 そんな上原さんを救ったのが、「解放教育」を実践する一人の女性教師でした。自らの家庭と被差別の出自をクラスで涙ながらに語ったのが、中学三年のときでした。 その上原さんが、自らを救った「解放教育」とはなんだったのか、なぜそれが潮が引くように後退していったのか、を日本の同和教育、解放教育のエポックとなった、兵庫・八鹿高校事件、広島・世羅高校事件などの現場を歩きながらさぐっていきます。 それは、また自らが苦しみながら、それを超克していった上原さん自身の物語でもあります。 ---引用終了 ●2024年4月20日、追記。 本作の目次は、 序章 初めての記憶 第1章 部落民であることを宣言した日 第2章 河内とマカレンコ 第3章 兵庫・八鹿高校事件顛末 第4章 広島・世羅高校事件の転機 第5章 同和教育の現在を歩く 終章 解放教育を超えて
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上原氏は僕の一つ上です。1973年生まれです。 なので世の中の空気みたいなものは共通していると思うのですが、僕は東京で生まれ育ったので、いわゆる部落差別というものは全くと言っていい程見聞きした事がありません(朝鮮人差別は有り、とても嫌な気持ちになったのを覚えています) 上原氏の著...
上原氏は僕の一つ上です。1973年生まれです。 なので世の中の空気みたいなものは共通していると思うのですが、僕は東京で生まれ育ったので、いわゆる部落差別というものは全くと言っていい程見聞きした事がありません(朝鮮人差別は有り、とても嫌な気持ちになったのを覚えています) 上原氏の著作は非常に荒々しく、時に精神を逆撫でる事があります。それだけ力がある文章だと思うのですが、時折読むのが辛い事もあります。 しかしこの本はそういった捨て鉢な部分はなく、ひたすら部落差別と教育と自己形成の相関関係をじっくり書いています。 差別されてきた部落と、そこに留まる事で仲間からも守られ包まれる感覚。そして一般社会との乖離した感覚。それを自分で子供の頃から通過してきた教育現場と、客観的に取材した学校と同和教育(解放教育)というものの意義。果たしてあれは何だったのか。そんな想いで振りかえりそして先に進もうとする本です。
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教育論として、解放教育と同和教育がどんなものか分かる。なぜ両者が仲違いしたのか、部落宣言とかゼッケン登校がどちらの推し進めたものかなど学び多き一冊。
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教育者として、読んでおいたらいい。 同和教育、と口に出すのは容易いから。 どんな過去があって、今に至るのか、知っておくほうがいいから。
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【家庭が崩壊、行き場のなかった私をすくったあの教育はどこへ行ったのか】行き場を失った私を救ったのはあの「同和教育」だった。その誕生から興隆そして衰退の歴史をたどり、自らの苦しみの超克を綴る。
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