桜は本当に美しいのか の商品レビュー
古典であれ、近代であれ、もちろん、現代にしても、短歌なんてほとんど読むことはないのだけれど、確か春日井健という歌人の弟子で、水原紫苑という、ちょっと幻想的な短歌を詠む人がいるなあ、とか思って過ごしていて、ふと年齢を調べると、自分と大差ないことに驚きました。 わらふ狂女わらはぬ...
古典であれ、近代であれ、もちろん、現代にしても、短歌なんてほとんど読むことはないのだけれど、確か春日井健という歌人の弟子で、水原紫苑という、ちょっと幻想的な短歌を詠む人がいるなあ、とか思って過ごしていて、ふと年齢を調べると、自分と大差ないことに驚きました。 わらふ狂女わらはぬ狂女うつくしき滝の左右に髪濡るるかも 白鳥はおのれが白き墓ならむ空ゆく群れに生者死者あり なんていう作品は「いいなあ」と思ったことがありましたが、ちゃんと読んだわけではありません。 その歌人の「桜論」でした。新古典派らしく、万葉・平安から説き起こし、現代短歌、ひいては、現代歌謡まで、勉強になります。 コロナ騒ぎの中100日で100冊紹介するという遊びを、「#100days100bookcovers」としてフェイスブックでやってますが、そこで紹介した記事をブログにのせてます。覗いていただけると嬉しい。 https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202011300000/
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奥付を見ると2014年なのでもう6年も読み止しの状態であったのだと驚いた。 購入してすぐ第6章「和泉式部と桜への呪詛」までを読み、第7章「『新古今集』と桜の変容」に入る前に一端本を置き、そのままにしてしまった。それは新古今集、そして西行へと続く部分を読むのが楽しみにとっておきたく...
奥付を見ると2014年なのでもう6年も読み止しの状態であったのだと驚いた。 購入してすぐ第6章「和泉式部と桜への呪詛」までを読み、第7章「『新古今集』と桜の変容」に入る前に一端本を置き、そのままにしてしまった。それは新古今集、そして西行へと続く部分を読むのが楽しみにとっておきたくなったからだということを思い出した。読んでいたのは夏であった。だから、特に西行の部分は桜の季節になったら読もう、と思ったことを覚えている。そして、そのまま忘れてしまっていた。 どうも、宣長のあたりからページを繰る手が重くなった。つまらない、というよりも、どうでもよい、という感じであった。桜ソングについては、引用された歌詞を目で追うのが辛かった。 自分の興味関心の多寡による感想でしかないことは、レビューを書いている自身でよく分かっている。 小野小町の花は桜なのだな、と改めて思わされた。卒塔婆小町への思いがあるせいだと思うが、小野小町に桜の華やかさはふさわしく感じるが、その衰えに桜のスピード感が合わないように思っていた。小野小町には長雨にゆっくりとくたしていき花のイメージが、私にはある。 桜は西行までの桜、定家からの桜とするか、新古今集と花伝書の間に変化を見るか、考えてみたくなった本であった。
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読んだ。「桜=美しい」にみられるような固定観念に興味があった。前半部は桜に対する印象の変化を追っており良いが、後半部は推測が多くなり話が逸れてる気がする。でも面白かったです!
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桜の咲き乱れる頃、タイトルにそそられて即買った。 内容や作者のことをもう少し調べてから買えばよかった。 私が期待していた内容と全くズレていて、しかも苦手な文語体で詠まれる短歌がずらり。そう、歌人である作者が問おうとしていたのは歌の中の桜だった。 短歌に興味がないと最後まで読むの...
桜の咲き乱れる頃、タイトルにそそられて即買った。 内容や作者のことをもう少し調べてから買えばよかった。 私が期待していた内容と全くズレていて、しかも苦手な文語体で詠まれる短歌がずらり。そう、歌人である作者が問おうとしていたのは歌の中の桜だった。 短歌に興味がないと最後まで読むのはとても辛い。 それでも面白かったのは能の章と春雨物語の章。 桜が本当に美しいのか、その答えはわからないままである。
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日本の美意識の代名詞ともいえ、戦時中には軍国主義の象徴、平安時代は桜より梅だったような気もするけれども、ある時から日本人はひたすら桜を愛してきた。 なぜ? 日本文学の中で桜は何を象徴してきたのか。 それを現代の歌人が取り上げた文学論。 面白そうだと思って…読んだらまた更新しま...
日本の美意識の代名詞ともいえ、戦時中には軍国主義の象徴、平安時代は桜より梅だったような気もするけれども、ある時から日本人はひたすら桜を愛してきた。 なぜ? 日本文学の中で桜は何を象徴してきたのか。 それを現代の歌人が取り上げた文学論。 面白そうだと思って…読んだらまた更新します。
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「ぱっと咲いて、ぱっと散る」ことから日本を代表する美意識の代名詞とされ、軍国主義の象徴にもされてきた桜。しかし、ナショナリズムの美学と桜との関係については問題提起にとどめられ、むしろ万葉集からさかのぼって、日本の文学の中で桜が何を象徴するものとして生成してきたのかを探求する、興味...
「ぱっと咲いて、ぱっと散る」ことから日本を代表する美意識の代名詞とされ、軍国主義の象徴にもされてきた桜。しかし、ナショナリズムの美学と桜との関係については問題提起にとどめられ、むしろ万葉集からさかのぼって、日本の文学の中で桜が何を象徴するものとして生成してきたのかを探求する、興味深い文学論となっている。 万葉集の当時においてはむしろ呪術性の象徴であり、美意識に関しては梅の脇役でしかなかった桜が、貴族社会の中で最も好んで謳われる主題となっていくことを、水原氏は「美の通貨となる」という言い方をしている。岩井克人氏の貨幣論の言い方を借りれば、桜は、美しいものだと多くの人に思われているからこそ美しくなるというわけだ。 多くの高名な歌人がすぐれた桜の歌を詠んでいるが、この本であらためて目を開かれたのは藤原定家の一連の作品である。桜という小さな窓から足元も定かならぬ世界へと誘い込まれるようなこの作品世界は鳥肌が立ちそうだ。 桜を通した文学ガイドはそれだけでも面白いのだが、水原氏の主眼は、美意識の通貨としての桜を流通させる共同体の欲望の方にある。ナショナリズムのために動員された桜インフレ時代を経て、穂村弘が詠む明るい空虚のバブルめいた桜の光景と、斎藤斎藤や永井祐が詠む荒涼とした桜という空疎な記号、そしてひたすらに優しい欲望を謳いあげる反知性的な桜ソングに、桜が良くも悪くも、たしかにこの社会を表象し続けていることを実感させられる。 ただ、桜を美意識の通貨として流通させる共同体論としては、水原氏の奥ゆかしさのせいなのか、ほのめかす程度にとどめられており、一定の共通した認識を根底にもたないと、一貫した論旨を読みとっていくのは困難かもしれない。ナショナリズムの美意識と桜の問題にしても、「桜ソング」に惹かれて手に取る若い世代もいることを考えれば、もうすこし丁寧に論じてもよかったのではあるまいか。そういう意味では不満が残る。
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お寺でビブリオ!in 和束茶カフェ@運潮寺(和束ビブリオバトル#3) テーマ「春」で紹介した本です。 https://www.facebook.com/photo.php?fbid=497243423712915&set=gm.1486929771523007
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今の日本は桜ソングが氾濫している。特に2000年代から。 戦争を体験した世代が少なくなり、歌を作る側も聞く側も軍歌と桜の忌まわしいイメージを知らない。
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