裏 最強土下座 の商品レビュー
土下座だけで一冊の本が書ける著者に感嘆。 土下座の持つ、暴力性に注目しているのも目の付け所がさすが。 自己中心的な黒土下座、純粋な思いからの白土下座。 目指すべき土下座とは、自身の思いの強さのことなのだ。
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『土下座』一つにフォーカスした書籍。 土下座を体系化したところは興味深いが、若干ムリがあったかな。著者自らの体験を書いた章は面白かった。
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さいあく! 土下座ブームかもしれないけど、 こんな本を書くやつも (読むやつも) ちょっとな~・・・。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
チェック項目6箇所。土下座には”された”側に、有無を言わせぬ強引性があるのだ、それは、攻撃性と言い換えてもいい、そして、その攻撃性は格闘技に通じるものがある、俺はこの経験を通して、土下座と格闘技の共通性に気づいた。「手をついて謝れ!」というセリフは、本当に土下座してほしいのではなくて、それだけ怒りが頂点に達していることのサイン、そもそも人は、相手が跪いて謝罪すれば満足するようなレベルの怒りなら、「土下座して詫びろ!」などと言わないのである。古くから皇室や王室が発達した国……つまり人が生まれたときから身分制度のあった国では、上下関係を示す座礼が発達した、一方、たとえばアメリカ合衆国など主に移民で構成された国……最初から人間は平等だという観念のあった国では握手が発達した。土下座の具体的な運動量について考えてみた、もちろん、腕立て伏せよりもはるかに楽な動作だ、運動力学上、1回の土下座で消費される運動量は、だいたい膝を一度曲げる動作に相当するらしい、そのエネルギー量はわずか0.012キロカロリー、この動作よりも少ない運動量と言って頭に浮かぶのは、おそらく寝返りくらいなものか。自分らしく、のほほんと生きていてもチャンスは訪れない、散歩に出かけて、いつの間にか富士山の頂上に登っていた、なんてありえないのだ、夢や目標という高みを目指すためには、不自然な準備が必要になる、俺はこれを不自然主義と呼んでいる、不自然な自分を貫くためには、強い意志が必要になる、そして、その熱い意志に基づき、今後どうやって生きていくかの決意を表明する行為が土下座である。
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