絶望の裁判所 の商品レビュー
元裁判官で学者に転身した著者が日本の裁判所と裁判官の実態を描いた本。司法行政について内側からしかも批判的な視点で書かれているのは興味深いが、面白味に欠けるように感じられて途中から斜め読みしてしまった。
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日本の社会には、それなりに成熟した基本的に民主的な社会であるにもかかわらず、非常に息苦しい側面、雰囲気がある。その理由の一つに、「法などの明確な規範によってしてはならないこと」の内側に、「してもかまわないことにはなっているものの、本当はしないほうがよいこと」の見えないラインが引かれていることがあると思われる。デモも、市民運動も、国家や社会のあり方について考え、論じることも、第一のラインには触れないが、第二のラインには微妙に触れている。反面、その結果、そのラインを超えるのは、イデオロギーによって導かれる集団、いわゆる左翼や左派、あるいはイデオロギー的な色彩の強い正義派だけということになり、普通の国民、市民は、第二のラインを超えること自体に対して、また、そのようなテーマに興味を持ち、考え、論じ、行動すること自体に対して、一種のアレルギーを起こすようになってしまう。不幸な事態である。
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うーん、かなり冒頭から読む気を殺がれる。一般人のうかがい知れない世界なのでところどころ興味深い記載もあるが、それでも、さもありなんの想像の範疇。 期待外れの一冊。 元裁判官による裁判所批判、法曹界に物申す的な内容ではあるけど、内部告発というほどに大きな問題提起をしているわけでもなく(いや、しているのだろうけど)、自分が辞めた元職場への恨み節に終始しているところが、何とも寂しい。ちゃんと読めば、裁判所内部の腐敗、モラルの低下など問題提起もしているだろうけど言っている本人のことを信じるに値するか?という点で、どうも記載内容そのものに入っていけなかったのだ。 第1章「私が裁判官を辞めた理由(わけ)」 出だしからイカン。学究の途を歩むため退官するのだが、その事実を口外してはならないと言われ、有給を取るなら早くやめろと言われる。なんだ、このあまりに卑近な例は? だから裁判所は腐敗している?こんなところからはじめるの?とまずは肩透かし。それ、裁判所だけじゃないですから、普通の企業でもよくある話です。 なら裁判官として法律を盾に抗弁すればいいと思うのだが、有給未消化の件も「労働法の基本的原則違反の言葉である」、「裁判官の身分保障(日本国憲法第78条)の趣旨にももとる行為である」と本書で言い募るのみで、その当時、戦った素振りがない。なにそれ? そもそも、人としてどうなのと思う記述が散見する。 自身を分析するにあたり、裁判官より学者向けで、しかも芸術肌だとでも言いたいのだろう、「幼いころから数多くの書物を読み、あらゆる芸術に親しんできた」って、おいおい、白洲正子ですら、“あらゆる芸術に親しんで”なんて不遜な言い方を自分からしないって。 『鬼が来た!』(チアン・ウェン監督、2000年)を紹介するときも、「数少ないすぐれた中国映画のひとつである」って、なに、そこ? 中国映画界を暗に批判したいのかなんなのか。そういう論旨の中で使っていない箇所なのに、さらっと見下したかのような記述が出るあたりで、人としてどうよ、と思ってしまった。 そんな人物が書いているのかと思うと、すいません、ヒネクレ者なので、論旨も主張もあまり頭に入ってきませんでした。 要は、本書の主旨としては、日本の司法制度はアメリカ的法曹一元制度を導入するしか、正しく真っ当なものにならないということだと思うが、ならば、その導入がなぜ積極的に検討されないか、解決のために何が必要で、どうするべきかという提言まで含んでほしかった。そうすれば意味のある一冊になったとは思うが、これではただ組織に馴染めず、言いたいことも言えなかった敗者の単なる愚痴の垂れ流しにしか聞こえない。 勉強が出来て、エリート意識だけが高くて、処世術に乏しく、世間知らず。その程度の人物が裁判官をやっているという悪例を示すことよって「絶望」感を表現したというなら、自らの体を張った快著ということなのかもしれないが。 新刊小説『黒い巨塔』、読みません。
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裁判官から学者に転身した著者が、現在日本の裁判所が陥っている悲惨な状況について告発している本。近年はだいぶ知られるようになってきたが、日本は裁判の有罪率が異常に高いなど、司法の面において多くの問題を抱えている。そのことももちろん重要であるが、本作のキモは裁判官を経験した人間にしか...
裁判官から学者に転身した著者が、現在日本の裁判所が陥っている悲惨な状況について告発している本。近年はだいぶ知られるようになってきたが、日本は裁判の有罪率が異常に高いなど、司法の面において多くの問題を抱えている。そのことももちろん重要であるが、本作のキモは裁判官を経験した人間にしか書けない、内部のドロドロとした事情である。さて、たとえばわれわれが「お役所仕事」だとか「縦割り行政」だとかいう言葉を使って批判するとき、われわれの頭のなかにはどのような組織が思い浮かぶであろうか。おそらく、中央省庁や市区町村役場が想定されているはずである。いっぽうで、裁判所もまた歴とした「お役所」であるにもかかわらず、これまで基本的にそういった言葉とは無縁で存在してきた。わたし自身、そのような文脈で裁判官が攻撃された事例は寡聞にして知らない。要するに、裁判所は正義の組織であるから、いついかなるときも聖人君主のふるまいをしており、絶対的に正しいと思われているのである。しかし、本作を読むと、この考えがたんなる思い込みにすぎないことがよく理解できる。裁判官におけるヒエラルキイ構造など、ひょっとしたら先にわれわれが思い浮かべたような組織よりも、よっぽど硬直的、官僚的かもしれない。そして、さらに驚きなのは、こういった構造が判決などにもじっさいに影響を及ぼしている点である。上司のポイントを稼ぐためには、あまり思い切った判決は出せない。そのためお上の顔を窺いながらつねに金太郎飴のようなおなじ判決が繰り返されるようになり、かくして驚異の有罪率が完成するのである。この本の中にはこのような事例がほかにも数多く掲載されている。自身の実体験をもとに書いている部分も多いが、それでもこの本を読んで、日本の司法制度に対して、タイトルどおり「絶望」を感じずにはいられなかった。
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裁判所の閉鎖性や官僚制組織であることなどの問題点を、内部にいた人が実体験やデータをもとに述べた本。 言っていることは分かるけど、筆名で別の著作もある人にしては、文章が読みにくいな。
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著者の自分語りと牽強付会気味の立論に違和感がある。 裁判官の精神構造の病理について著者が論じる点は、現在の著者にも妥当するように思える。 とはいえ、元裁判官が、これだけ自分の見聞を披露して、裁判所を正面切って批判するということには、やはり意味があるのではないか。
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閉鎖的、閉塞状況にある官僚組織において往々にして起こってしまう好ましくない状況が、裁判所組織内において正しく起こってしまっているということを、元裁判官が切々と訴えている。 思うに、「ジャスティス」という価値観を守り育てていく「社会システム」の本来あるべき姿を想定する切り口として...
閉鎖的、閉塞状況にある官僚組織において往々にして起こってしまう好ましくない状況が、裁判所組織内において正しく起こってしまっているということを、元裁判官が切々と訴えている。 思うに、「ジャスティス」という価値観を守り育てていく「社会システム」の本来あるべき姿を想定する切り口として、多様なステークホルダーの調和という視点でとらえてみたはどうかと思った。 まぁ、民事と刑事とは実現すべき「ジャスティス」に若干の違いはあるかもしれないが、当事者、検察、弁護士、裁判官というプレイヤーたちが、ステークホルダー間の調和を図りながら、まったく関係のない第三者にたいしても説明責任が果たせる「プロセス」づくりに最大限の注力を図り、なるほど、うまいこと落としどころを見つけたなぁというようなことであればいいわけである。 ところが、「ジャスティス」の実現に関し、一番の権限と、権威を持っている「裁判所」という機関の劣化が激しいと嘆かれている。 一番最初に書いたが、閉鎖的・閉塞社会で官僚組織というのが人間社会において、一番始末が悪いわけである。 日本社会において、今現在、裁判所も含め、閉鎖・閉塞分野において、色んな不都合が起こってきている。 はてさて、このことは、現代日本社会全体で考え、取り組んでいかなければならない課題であるが、私自身としては少々悲観的ですが・・・(涙)。
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延長すれば良かったのに時間切れ 裁判員制度も刑事裁判官の自己顕示欲の道具とか面白いことが書いてある
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ここに書いてあることが、本当の話だとしたら日本の司法に救いはない。友人の弁護士に聞いてみたところ、多少のデフォルメはあるが真実に近いとのこと。本当に救いがない。
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本書では、裁判所、裁判官の実態がよく書かれている。読んでいて本当に絶望した。一番良いのは裁判所には近付かないことだ。裁判所(筆者はここを精神的な収容所と言っている)に近付けば、檻の中の囚人・制度の奴隷によって理不尽な判決を下されることとなる。どうしても裁判所に事件を持っていって自...
本書では、裁判所、裁判官の実態がよく書かれている。読んでいて本当に絶望した。一番良いのは裁判所には近付かないことだ。裁判所(筆者はここを精神的な収容所と言っている)に近付けば、檻の中の囚人・制度の奴隷によって理不尽な判決を下されることとなる。どうしても裁判所に事件を持っていって自らが願う正義を実現したいと思えば、「あなたは運がいい人ですか?」と問いたい。運が良ければひょっとしたらあなたが願う正義は実現するかもしれないが、ほとんどの場合、あなたの願う正義は理不尽に踏みにじられること請け合いだ。 P218 もしもこの制度をより意義のあるものにしようというのであれば、たとえば、判事補全員について、総合法律支援法に基づく法テラス(日本司法支援センター。常勤スタッフ弁護士が多数存在)のような公益を目的とする機関で数年間の弁護士経験を積ませる、やはり弁護士として、社会福祉あるいは家族や子どもの問題などを扱う国民生活に密着した公的機関における法的なサポートの仕事を数年間体験させるなどといった方向を考えるべきであろう。しかし、このような方向については、事務総局は、拒絶反応を示す可能性が高いのではないかと思う。そんなことをして、判事補たちの「大きな正義」と「ささやかな正義」に関する感覚がちょっとでも目覚めたりしたら、大変不都合であり面倒だからである。
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