究極の愛について語るときに僕たちの語ること の商品レビュー
【いろいろな愛のかたち】 『本は内容がすべてだ!!』的なことを普段から言っていた私。 しかし、無意識にかつ確実にジャケ買いもしている。 ホリエモンが『多くの人間は本をインテリアとして買っている』なんてことを言っていたが、自分も誰かから勧められた本でなければ、そういった基準で本を選...
【いろいろな愛のかたち】 『本は内容がすべてだ!!』的なことを普段から言っていた私。 しかし、無意識にかつ確実にジャケ買いもしている。 ホリエモンが『多くの人間は本をインテリアとして買っている』なんてことを言っていたが、自分も誰かから勧められた本でなければ、そういった基準で本を選んでいたことを否定できない。 ちなみに、西野亮廣の【革命のファンファーレ】はジャケ買い客も考慮して装丁されているそうだ。 なぜこんな話から入ったかというと、この本は私のジャケ買い目線からいうと絶対に買わない本だったからだ。 ↓ 【究極の愛について語るときに僕たちの語ること コエヌマカズユキ著】 本の色合い、帯の内容、タイトル、どれをとっても以前の自分ならば手に取りにくい本だ。 だが手に取り、そして読んでみた。 理由は自分の頭の中にある『本を読みたい畑』に、著者との出会いで『種』が撒かれ、著者の生き様を知ることで『発芽』したからだ。 この本を読んで確信したことがひとつ。 それは『本のジャケットが気に入る=本の内容も気に入る』ことはあっても、『本のジャケットが気に入らない=内容も気に入らない』ということは自分にはないのだということ。 ノンフィクション作品である本書では、様々な愛のかたち・ストーリーが綴られている。 車椅子の男と風俗嬢、レズビアン、お見合い結婚した夫婦、植物状態の妻と彼女を介護しつづける夫、ネットでしか恋愛できない女性、ラブドール愛好家。 自分とは経験も立場も違う人々の愛についての話だけれども、共感できる部分が多い。 ネットでしか恋愛できない女性のSNS越しに感じてしまう想いや、ラブドール愛好家の無機物への突き抜けた愛情が、自分のSNSに接している時間やガンプラ愛に少なからずリンクする。 著者は作中で『愛のかたちは違うようにみえても、愛の根底にある普遍的なピュアさにけっして違いはない』という。 それゆえ読んでいて共感できるのだろうか。 フィクションのストーリーは読んでいて面白いし、共感もできる。 けれど、ノンフィクションのストーリーは『きれいにまとまらない部分』や『話の粗さ』みたいなものがあって、共感がより身近に感じる。 身近な共感が私は好きで、今までとは違う行動をしたい衝動にかられる自分に気がつけた一冊となった。
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