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あわいの力 の商品レビュー

3.9

15件のお客様レビュー

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2024/08/28
  • ネタバレ

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文學界のオードリー若林さんと國分功一郎さんの対談の冒頭で話題に挙げられていたので。 能を起点に、「心」が生まれたのは「文字」が生まれた後として、甲骨文字や古代メソポタミア文明の楔形文字(シュメール語・アッカド語)、ギルガメッシュ叙事詩など、さまざまな事柄を行き来するけど、しかし一貫して「心」と「身体」について書かれていた。 ロロ・メイの研究の『人間は主体的な存在であるから、客体化されたときに、そこに「恥」が生まれる』という部分を引き合いに出して、あえて主体的に「見せる」ことで、相手を「見せられる」という客体的な存在にしてしまう、これが「芸能におけるメタファーの転換、逆転現象」であると説いている。この部分から、「自分を俯瞰的に見て羞恥やためらいなどブレーキがかかること」について深く考えた。 梅は咲いたが (2024W05) - はせる https://blog.ymmtdisk.jp/articles/2024/02/09/220000 「麻雀には失われた牌がある!?」では、トランプと対比した論を展開しており、ここも好きだった。 トランプのスペード・ハート・クローバー・ダイヤの4種類で、対して麻雀は萬子・筒子・索子の3種類。 トランプは1スーツ13枚。仮に1枚を1週間とすると、13に7を掛け、4(種類)をかけると364、それにジョーカーを加えると365となり、1年を表していたことが伺える。 一方で、麻雀は各牌1~9まで。古代中国は10日で刻む「旬」という概念があり、9×10×4で360。太陰暦では1年は360日とされることから、「失われた牌」があるとすれば、麻雀も1年を表していたのではないか……。暦的なものであるとすれば、トランプのスーツは四季をあらわしていると考えることができる。 とすれば「失われた牌」とは……。 「異界」を排除しようとしている近代 見えないものを見る=見立てる 新約聖書の中でのみ使われる言葉『スプランクニゾマイ』、「内蔵」という意味の「スプランクナ」が変化。「内臓が動く感覚」≒「憐れみ」 「何もない」「空白」の時間と空間を。

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2024/08/13

日本人から失われつつある、「あわいの力」を能のシテとワキの役割から、俳句や和歌から、言葉の興りから等、色々な視点で語ってくれている本。

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2023/07/21

異界と現実界をつなぐ存在を能では、あわいといい、人は、身体という外と中をつなぐ、あわいを持って生きているという。 文字が生まれたことで時間という概念が生まれ、心が生まれたという。 心は三層構造で、表層がこころ、その下がおもひ(こひ)、一番下のそうは心(しん)という言葉や文字を通...

異界と現実界をつなぐ存在を能では、あわいといい、人は、身体という外と中をつなぐ、あわいを持って生きているという。 文字が生まれたことで時間という概念が生まれ、心が生まれたという。 心は三層構造で、表層がこころ、その下がおもひ(こひ)、一番下のそうは心(しん)という言葉や文字を通さず、相手に伝わる何かを心(しん)というのだそう。 甲骨文字、古代ギリシャ語、シュメール語、古代メソポタミア神話、日本の古典、ロルフィングなど幅広い著者の知識がうかがえるが、能に始まり、能に終わる構成で、筆者は能を通じて世界を見ていることがよくわかる。 筆者の生い立ちも交え、筆者の興味が詰め込まれ、興味深く読み終えられた。

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2022/09/19

能を起点に、社会や人間を分析する安田さんの視点はいつも面白い。本書では「あわい(ものとものが重なる接線、境界)」をキーワードに、心やメンタルについて語っている。興味深かったのは、「見る」と「味わう」は自分の意志で閉じることができるが「聞く」と「臭う」は閉じられない。戦国時代から江...

能を起点に、社会や人間を分析する安田さんの視点はいつも面白い。本書では「あわい(ものとものが重なる接線、境界)」をキーワードに、心やメンタルについて語っている。興味深かったのは、「見る」と「味わう」は自分の意志で閉じることができるが「聞く」と「臭う」は閉じられない。戦国時代から江戸時代に武器が退化した理由。「初」とは、衣を切ることから、つまり変化し続けなければならない。先人に認められないのは問題ではなく、先人がわからないようなことを作り出すことが肝要。いやはや、勉強になりました。

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2020/12/28

内蔵感覚をひらき、溶け合う環境に身を委ねる”あわい”の感覚とは?(あわいの力/安田登) https://beyondthenexus.com/senseofawai/

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2019/12/11

「心」は文字を使うようになって生まれた。他書でも安田さんが述べてきた考えが、本書では特に丁寧に解説される。心に偏ってもダメ、身体に偏ってもダメ。だけど身体を動かすことを足がかりに心をチューニングすることはできる。白黒はっきりさせたがる西洋文化を基盤とした現代の心の時代にあって、一...

「心」は文字を使うようになって生まれた。他書でも安田さんが述べてきた考えが、本書では特に丁寧に解説される。心に偏ってもダメ、身体に偏ってもダメ。だけど身体を動かすことを足がかりに心をチューニングすることはできる。白黒はっきりさせたがる西洋文化を基盤とした現代の心の時代にあって、一見無意味なあわい(間)の力が求められるのではという安田さん。だからこそ明確な答えは本書にはない。あわあわとした感覚が残る読後感。

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2018/10/05
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※このレビューにはネタバレを含みます

自分の代でなにかを完成させるわけではないし、自分のやったことが受け継がれない可能性もある。しかし、それでも能全体にとっては何かの蓄積になっているという確信。 「媒介」といった意味をあらわす古語が「あわい・あはひ(間)」です。 間を、伴うことによって、人は神や自然とひとつになることができる 「こころ」その下にある「おもひ」その下にある「心しん」 心より心に伝ふる花 こひ乞う 欠落が埋まるまで不安で仕方がない状態 ことばや文字にしなくとも一瞬で、伝わるなにか。心。 こころがなかった時代。 一瞬一瞬を生きる。 言葉によって時間と記憶を獲得し、それによって「後悔」と「悲しみ」をはじめて感じたのです。 身体的な時世のない日本語を使う日本人は。自己と世界をつなぐからだという「あわい」を日々無意識にかんじていきている こころがなかった時代の内臓感覚 古代ギリシャ語、古代メソポタミア語、しゅめーる語、アッカド語、こうこつ文字にこころの概念はない。 『新約聖書』のなかに「スプランクニゾマイ」という言葉があります。 日本語では憐れみと訳されますが、元々のニュアンスは「内臓が動く」という意味なのです。 アッカド語の憐れみには子宮という意味が。その感じが、相手の感情と、一体化するcompassionという感覚の原点になっているようです こころは内臓にある。 「あはれ」という言葉は「あは」に接尾語の「れ」がついた言葉。「あは」は「ああ」、すなわちため息のこと。 息でこころをコントロールする いのちは息(い)の霊(ち) 神性や霊性をあらわすのに「ひ」「み」は静かな霊性、「ち」は強く蠢く霊性 息は強く蠢く生命活動の象徴 息によって霊力を引き出し、交信する。異界より招き、自分が霊そのものになる。 見立ての力 見えているのであって、信じるとは、ちがう見えないものを見る力 歌。歌には目の前に幻影をありありと浮かび上がらせる力がある。呪術的な行為なのです。歌うとからだに染み付く。一体化する。 能の「ふり」の本質は「歌」とおなじく、からだの動作を伴う「振動」にあります。語源は「訴える」。歌の本質は声で、空気を震わせとその振動で他者を動かす。「振動」は、振れる人の中にあるなにかを揺り動かす。その何かを目の前に出現させる力がある。歌を好んだ日本人は振動が持つ呪術的な力を感じとっていた。そして「ふり」の基本はなんと「不動」なのです。振動を体現する不動。高速で回るコマのように座れ、というように。静かであるほど内側には激しい振動が蠢いている。 かんがえるはか身交る(かみかふ) 外に引きずられるものを内へ。外と内の交わるところ。自然。 問う。たふ。訪ふ、弔ふ。 答えるかは関係ない主体。 身体を通じて自己と環境が溶け合うような、か身交ふ状態が「あわひ」の状態を活性化してくれます。 息は吐くことで生きる力を得る はくことは意識を外へ向ける。吐くことで緩む。

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2018/04/19

音楽やダンスなど舞台に関わる上で、頷いたり、為になるような事が書かれていた。 自分の身体に問いかけながら、時々思い出したい本。

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2023/11/16

帯表 あっちとこっちをつなぐ不思議な力 帯裏 古代人には「心」がなかった- 「心」が生まれて3000年。「心の時代」と言われる現代、自殺や精神疾患の増加が象徴的に示すように、人類は自らがつくり出した「心」の副作用に押し潰されようとしている。 そろそろ、「心」に代わる何かが生まれて...

帯表 あっちとこっちをつなぐ不思議な力 帯裏 古代人には「心」がなかった- 「心」が生まれて3000年。「心の時代」と言われる現代、自殺や精神疾患の増加が象徴的に示すように、人類は自らがつくり出した「心」の副作用に押し潰されようとしている。 そろそろ、「心」に代わる何かが生まれてくるのではないか?身体感覚にもとづいて思考する著者が、まったく新しい時代の姿を求め、「あわい」の世界に飛び込んだ!! 見返し 【あわい】 媒介。あいだ。 自己と他者、異界と現実界、時間と空間、あっちとこっち・・・ ふたつのものが出会う界隈。 能楽におけるワキは、両者をつなぐ象徴的な存在。 人は身体という「あわい」を通して外の世界とつながる。 *本書は語り下ろしをもとに再構成したものです。

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2015/09/24
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※このレビューにはネタバレを含みます

能のワキ方、古代文字の研究家、ロルフィングの専門家という様々な顔をもつ筆者による書。なんと分類すればよいのか分からないけれど、人間の心と身体について深く語っているので「哲学書」といってもいい。 能はもちろん、古代史や身体についての膨大な知識を知るだけでもワクワクするのだが、能の持つ魔力のようなものが言語化されて自分の身体と繋がるような、不思議な体験をすることが出来る。私が習っている合気道とも通じるものがあるのでよりいっそうその感覚は共有できる。 このような本に出会うと、自分自身のみならず人間の可能性が拡がるような気がするのが楽しい。

Posted byブクログ