古代日本と朝鮮半島との交流史 の商品レビュー
旧石器時代から奈良時代における東アジアの考古学の概要。日本と朝鮮だけではなく、そこに大きな影響を与えた中国のことも記載されている。 著者の撮影した写真が多くて良いが、地図などももう少し掲載されていると交流の位置関係が分かりやすかったように感じる。 なお邪馬台国についても少し取り上...
旧石器時代から奈良時代における東アジアの考古学の概要。日本と朝鮮だけではなく、そこに大きな影響を与えた中国のことも記載されている。 著者の撮影した写真が多くて良いが、地図などももう少し掲載されていると交流の位置関係が分かりやすかったように感じる。 なお邪馬台国についても少し取り上げられている。この著者は畿内説。 個人的には、弥生時代の鉄の交易について知りたいと思って読んだのだが、あまり詳しいことは載っておらず残念でした。
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韓国の考古学はこの十数年で膨大な発展を遂げている。それは次々と博物館が建てられ、展示替えしていることからも類推出来る。その成果を踏まえて、今年一月に待望の「交流史」が出版された。 直ぐに図書館で借りたのだが、第一章から第三章にかけて無数の付箋紙を貼る事態に陥り、仕方なく購入を決...
韓国の考古学はこの十数年で膨大な発展を遂げている。それは次々と博物館が建てられ、展示替えしていることからも類推出来る。その成果を踏まえて、今年一月に待望の「交流史」が出版された。 直ぐに図書館で借りたのだが、第一章から第三章にかけて無数の付箋紙を貼る事態に陥り、仕方なく購入を決めてしまった。これから大いに活用したいと思う。 例えば、51pの比較表を見るだけでも、何度も知りたかった松菊里や勒島遺跡と日本の遺跡との時代の対応が初めて明らかになった。 その他、印象に残った処の一部。(以下は専門用語のオンパレード。私用のメモです) ●本格的な稲作文化の起源は朝鮮南部に求めることができる。磨製石器のうち、石斧のセットは無文土器文化の石器の中に見出せる。木製農耕具はこれからの課題。忠清南道保寧市の麻田里遺跡では、用水路を伴う水田遺構とともに、木製品用の貯木場が発見された。木製農耕具も出たが、池上・曽根遺跡に通じる鳥形木製品も出土。石包丁に関しては、日本の水稲耕作開始期は外湾刃半月形で、擦切技法によって穿孔もあった。穿孔具による回転技法でも、技法は両国で共通している。貯蔵庫として一般的だった袋状竪穴は、松菊里遺跡に類例を見る。イネの品種も同じジャポニカ。菜畑遺跡にある混合または複合農業も、この頃の朝鮮では一般的。その他、竪穴住居における松菊里遺跡、集落形態に見られる環濠、そして支石墓など、日本の水稲耕作開始期の諸要素はすべて朝鮮南部に直結している。(38p) ●検丹里遺跡の環濠集落の平面形と規模は、板付遺跡における南北116m、東西81mで平面楕円形という環濠集落と共通する。また、無文土器の型式や磨製石器の組み合わせも共通する。板付遺跡は南部の渡来人が深く関わっていただろう。(43p) ●吉武高木遺跡3号木棺墓は南部起源の支石墓の変容形。副葬の青銅器は交易品ではなく、持参或いはこの地で鋳造したものだろう。(63p) ●吉野ヶ里遺跡1002甕棺墓の把頭飾付有柄式銅剣は把頭飾・把部・身部が同時に鋳造されている。朝鮮慶尚南道義昌郡の茶戸里遺跡出土の有柄式銅剣に類似している。(67p) ●鳳凰台遺跡は環濠集落。最高所46.5m。3ー6世紀存続。標高17mで検出された環濠は3-4世紀に掘り込まれていた。 ●日本の仿製鏡事情(弥生後期後半)公孫氏と楽浪郡の争いで後漢との外交中断のため。(70p) ●後期後半、竪穴住居の側面に取り付けられる竈。源流は東南部沿岸地方。金海の府院洞遺跡、勒島遺跡のオンドル遺構。「魏志弁辰伝」には「竈はみな家の西に置く」(70p) 目次(「BOOK」データベースより) 第1章 旧石器時代のころ/第2章 土器の出現/第3章 農耕の始まり/第4章 金属器の受容/第5章 農耕文化の発展と小国の形成/第6章 古代国家成立への胎動/第7章 技術革新の世紀/第8章 古墳文化の変容と仏教寺院の造営/第9章 律令国家への道
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