ル・コルビュジエ 生政治としてのユルバニスム の商品レビュー
ル・コルビュジエ 生政治としてのユルバニスム (和書)2014年04月28日 09:53 八束はじめ 青土社 2013年12月19日 朝日で隈健吾さんの書評を読んで借りてみた。 生政治については講義集成の既刊はすべて読んでいたので分かり辛いということはなかった。ただフーコー...
ル・コルビュジエ 生政治としてのユルバニスム (和書)2014年04月28日 09:53 八束はじめ 青土社 2013年12月19日 朝日で隈健吾さんの書評を読んで借りてみた。 生政治については講義集成の既刊はすべて読んでいたので分かり辛いということはなかった。ただフーコーさんは基本民主主義的であり否定され抑圧されたものが生政治においてどのように支配をかわし対抗し回復するのかという視点があるように思うけれど八束さんの本を読んでいてあまり民主主義を感じなかった。 ただこの本を読んでいて考えさせられることがあった。 マルクスが趣味について書いていた部分が思い浮かんだ。内容は失念してしまったので後日確認してみたいがなぜマルクスが趣味の生活のようなことを書いたのか?それは共産主義の理想なのか?たしかに娯楽で暮らせれば理想なのだろうが・・・・。意味がわからない部分であった。社会主義の理想が趣味的生活とは・・・・などど考えることもできる。しかし僕はこの本を労働の合間に読みながらマルクスが何を言いたかったのか考えていた。 マルクスにしても柳田国男にしてもフロイトにしてもナザレのイエスにしても抑圧され否定されたものの回復を説いている。それが哲学の根幹である。労働の合間にこの本を読んでいて、労働によって否定され抑圧されているものはなんなのかを考えてみるとそれは趣味的生活なのだろうと思い浮かんだ。趣味的な自由な生活が労働によって否定され抑圧されているということなのだ。だから否定され抑圧されたものを回復せよと説いているのだ。 共産国家において共産党のテクノクラートがそういった趣味的生活を享受していたということが言われている。それ自体は特権階級の格差であり社会主義の否定・抑圧としてあり得ることなのでまったくマルクスと関係ない。 マルクスが言いたかったのは労働によって否定され抑圧されたものの回復なのだ。
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