丸山圭三郎著作集(2) の商品レビュー
『ソシュールを読む』(岩波書店/講談社学術文庫)と『文化のフェティシズム』(勁草書房)を収録しています。 『ソシュールを読む』は、「岩波セミナーブックス」の一冊として刊行された本で、ソシュールの言語理論を分かりやすく解説した著者の講演に基づいています。また最後の2章では、ソシュ...
『ソシュールを読む』(岩波書店/講談社学術文庫)と『文化のフェティシズム』(勁草書房)を収録しています。 『ソシュールを読む』は、「岩波セミナーブックス」の一冊として刊行された本で、ソシュールの言語理論を分かりやすく解説した著者の講演に基づいています。また最後の2章では、ソシュールの言語学から著者自身の文化記号論への展望が示されています。 ソシュールは、言語が自然的な根拠を持たず、言語体系内での記号間の差異だけが、それぞれの記号の価値を生み出すことを明らかにしました。著者は、こうしたソシュールの仕事が、西洋の諸学を長く支配してきた主知主義と自然主義をともに退けることで、「自然」から独立した「文化」の領域への展望を切り開くという意味を持っていたことに注目し、ソシュールの言語論の最大の意義を認識批判的な(epistemologic)な観点に見ようとしています。 『文化のフェティシズム』は、人間の文化の記号論的解明に著者自身が挑んだ本です。私たちは、貨幣や商品に意味や価値を認めています。しかし、貨幣や商品そのものに自然に意味や価値が宿っているわけではありません。著者は、「貨幣のフェチシズム」「商品のフェティシズム」と言うべきこうした態度を「文化のフェティシズム」と呼んでいます。 こうした文化のフェティシズムの由来を解明するために、〈身分け構造〉と〈言分け構造〉という対概念が用いられます。前者は、生物の種に固有のメカニズムに基づく環境の分節構造であり、後者は人間のランガージュ能力に基づく世界の分節構造を意味します。著者は、生物的な基盤を持たない〈言分け構造〉の世界に、「非在」ないし「過剰」という性格を見ています。人間の文化は、この「非在」をあたかも実体であるかのように固定化する傾向を持っており、それゆえ「文化のフェティシズム」が生まれると著者は論じています。 さらに、〈言分け構造〉という「コスモス」の世界の誕生によって、生物的な本能による〈身分け構造〉を覆い隠されると著者は言います。そのため、〈言分け構造〉は必然的に、そこからはみ出す「カオス」を生むことになります。私たちの文化の深層には、無意識に押し込められた沸騰するマグマのようなエネルギーが蓄えられており、このエネルギーが既存の〈言分け〉の世界を突き破り、新たな〈言分け〉への移行を生じさせると著者は主張します。
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