存在と時間(4) の商品レビュー
存在と時間(四) (岩波文庫) (和書)2014年02月09日 20:01 ハイデガー 岩波書店 2013年12月18日 『存在と時間』ってこんなことが書いてあったんだな。旧訳を通読していたけれど全く知らなかった。何読んでいたのだろう? 哲学とは現象学的存在論である。 第...
存在と時間(四) (岩波文庫) (和書)2014年02月09日 20:01 ハイデガー 岩波書店 2013年12月18日 『存在と時間』ってこんなことが書いてあったんだな。旧訳を通読していたけれど全く知らなかった。何読んでいたのだろう? 哲学とは現象学的存在論である。 第四巻は時間について書かれています。今までの存在に関するものの中で時間がどのように関係してくるのかということが書かれています。存在のない時間はない。時間のない存在もない。簡単にそんな感じです。第一部前半で完結してしまい第一部後半と第二部も構想されていたらしいですが存在していないようです。読んでみたかったですね。 僕は高校生の時に村上春樹を読んでこれは自分のことが書かれていると単純に思いました。いま思い出すと恥ずかしいです。こないだのノーベル賞騒動のときにも村上春樹的喫茶店のマスターがテレビに出てきて同じような感想を言っていました。そういう人って多いのだなって感じました。 ハイデガーの『存在と時間』を読んでみました。以前、岩波の旧訳も読んでいましたが全く手応えがありませんでした。今回の新訳を読んでみて手応えがかなりありました。この本を読んでここには自分のことが書かれていると感じたのです。そうなのです。僕が25年程前に村上春樹を読んときに感じた同じ言葉がハイデガーを読んで浮かんできたのです。言葉は同じですがその存在と時間に関する認識にはかなり差があるように感じます。同じ言葉が浮かんできたのに何かの縁を感じます。機会があればそれについても考えてみたいです。 このシリーズは当たりです。是非皆さん読んでみてください。
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現存在の存在の意味とは、気遣いである。 こういうようにハイデガーは、ひとの根本概念を《気遣い》として取り出し、さらにそれを可能にしているのが時間性だという。 第3巻から続く第二篇では、 第1篇でなされた現存在の基礎分析に対して、 ぜんぶ時間性というものをつけたしていく。 世界-...
現存在の存在の意味とは、気遣いである。 こういうようにハイデガーは、ひとの根本概念を《気遣い》として取り出し、さらにそれを可能にしているのが時間性だという。 第3巻から続く第二篇では、 第1篇でなされた現存在の基礎分析に対して、 ぜんぶ時間性というものをつけたしていく。 世界-内-存在(世界性、世界内存在、内存在そのもの)に対して。 やっぱりハイデガーは、文献学=歴史学の畑のひとなんだろうなあというところがかいま見える。 本来的な自分に目覚めるためには、過去に対して抵抗と伝達がなければならない、という。 そこで、共同体(民族)にコミットしなければならないのだ、ということがでてくる。 論理で言えばその通りだなあと思うけれど、この辺の記述は割にさらっと書かれている。 (ナチスへの関与、ということでこの辺りは読まれてしまう有名な箇所なので注意が必要とは言え) 具体的な実例が欠けているということはよくわかっていると書きながら、一般論(「原理」)としては書きますね、という。 だから、ここにいろいろ読者が意味や具体性を詰め込んでしまえるので、ハイデガーを叩きたいひとは、ナチへの関与という歴史を強調するのだろう。
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駅前の書店で購入しました。 (2014年3月31日) 読み始めました。 (2015年02月09日) なんとか、読み切りました。 (2015年07月11日)
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全四巻、読了。ありがとう! ハイデガー。面白かったよ。 ・現存在という用語は人間と置き換えると理解しやすい。しかし、それを等号で結んではならない。現存在は人間の自意識や精神とはまた違う、ハイデガー独自の用語なのである。ハイデガー的な解釈をするためには現存在は現存在として読み進め...
全四巻、読了。ありがとう! ハイデガー。面白かったよ。 ・現存在という用語は人間と置き換えると理解しやすい。しかし、それを等号で結んではならない。現存在は人間の自意識や精神とはまた違う、ハイデガー独自の用語なのである。ハイデガー的な解釈をするためには現存在は現存在として読み進めるべきである。 ・「(配慮的)気づかい」が現存在の存在の足がかりとなっている。気づかうというのは常に既に何かが何かに対してなされる肉体的あるいは非肉体的な活動の可能性であるから、その何かという存在物の存在が前提できる。 ・タイトルにも謳われている「時間」について。これが大変面白い。ヘーゲルが多分に引用されていた。時間を点であるとすると、その点は常に過ぎ去って消失する。他方、その瞬間にもこの今という時間が生成されている。否定の連続と並走する「いま」の発生。このことから時間そのものは無限であることが推察される。 この時間という地平の上で存在論が展開されていくことになる。 ・頽落とひと(ダスマン)。 ・被投性、投企。この世界に投げ込まれた現存在。 ハイデガーはここで(この文庫本にして4冊で)一旦筆を置く。続編を記すことなく彼はこの世を去ったけれどもアリストテレス以来の存在を巡る論及、問題設定には喝采を送りたい。 http://cheapeer.wordpress.com/2014/01/06/140106/
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