藤原道長「御堂関白記」を読む の商品レビュー
倉本先生の本「紫式部と藤原道長」を読んで、どうしても「御堂関白記」を読んでみたくなって 図書館へ。 何はともあれ 1000年前の日記を読むことができる幸せを どう表現したらいいのか。 備忘録っぽいと言われる 道長氏の日記に親しみを感じてしまう。今も昔も 日記に書くこと、書いてお...
倉本先生の本「紫式部と藤原道長」を読んで、どうしても「御堂関白記」を読んでみたくなって 図書館へ。 何はともあれ 1000年前の日記を読むことができる幸せを どう表現したらいいのか。 備忘録っぽいと言われる 道長氏の日記に親しみを感じてしまう。今も昔も 日記に書くこと、書いておきたいことって おんなじだなぁ〜と思う(笑)倉本先生の文章はとても読みやすくて、大好きです。
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「御堂関白記」の詳細な読み。これが歴史学者の正当な読みですよ、という記述。「御堂関白記」は2013年6月19日にユネスコで「世界の記憶」に登録された。ところがニュースでも関西では大きくとりあげられ連日取材を受けたが関東では小さな扱いで1週間後に富士山が世界文化遺産に登録されかすん...
「御堂関白記」の詳細な読み。これが歴史学者の正当な読みですよ、という記述。「御堂関白記」は2013年6月19日にユネスコで「世界の記憶」に登録された。ところがニュースでも関西では大きくとりあげられ連日取材を受けたが関東では小さな扱いで1週間後に富士山が世界文化遺産に登録されかすんでしまった。「御堂関白記」は道長自筆本が残っているすごいものなのだ、この魅力とすごさを世間に知らしめようぞ、と原本写真、原文翻刻と現代語訳、解説を並べたこの本を作った。 なるほど、この原本写真、翻刻、解説が並んでいるのがみそです。解説もいろいろ詳しいです。きっとじっくり読み進めばおもしろい発見があるような気がします。 最後の方では「御堂関白記」「小右記」「権記」の三者がそろう年月を正暦3年(990)~万寿3年(1026)で図示している。この年間で2者あるいは3者が日記を書いている。寛弘元年(1004)~長和2年(1013)がそろう率が高い。年間通じて三者そろうのは寛弘2年(1005) 正暦3年(990):5月、藤原道隆摂政となる。定子中宮になる。 長徳元年(995):4月10日道隆没、5月8日道兼没 原本写真:五月十一日 宣旨 原本翻刻:五月十一日 内覧宣旨を賜った 解説:太政官中の雑事を、権代納言道長卿に触れて奉り行うように、という宣旨。 長保元年(999):彰子立后 寛弘元年(1004):子頼道春日祭使い 7.20改元 寛弘2年(1005):9月安倍晴明没 11月内裏消失 長和元年(1012):妍子、娍子立后 2013.12.10第1刷 図書館
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ゆっくり読み進めている最中です。さらっと日本史を勉強した人にとって日本で最も誤解されている人物の一人じゃないか、とも言える道長の心が読み解ける本です。平安時代は日本史の中で「興味はあるけど割と苦手」という時代なのでこれをきっかけに苦手意識がなくなればいいな!
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千年前の出来事が現代に伝わっているのが素晴らしい。 テレビで藤原道長は糖尿病だった?とやっていたので、歴史で学んだ以外のことがあるかなと思って借りたのだが、政治的なことが中心で少々期待はずれでした。 権力者=悪人のイメージだったけど、道長はそこに至るまで、人をたて、気を配るなど、...
千年前の出来事が現代に伝わっているのが素晴らしい。 テレビで藤原道長は糖尿病だった?とやっていたので、歴史で学んだ以外のことがあるかなと思って借りたのだが、政治的なことが中心で少々期待はずれでした。 権力者=悪人のイメージだったけど、道長はそこに至るまで、人をたて、気を配るなど、ちょっと見る目が変わった。
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