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“群島"の歴史社会学 の商品レビュー

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2022/06/27

1.この本を一言で表すと? 小笠原諸島と硫黄諸島の歴史と社会を纏めたを本。 2.よかった点を3~5つ ・小笠原諸島と捕鯨業のエコノミー(p43) →ビーチコーマーやカナカという存在は初めて知った。 ・基地の整理/固定化と開発/難民化(p171) →硫黄島が軍事上の重要な意味が...

1.この本を一言で表すと? 小笠原諸島と硫黄諸島の歴史と社会を纏めたを本。 2.よかった点を3~5つ ・小笠原諸島と捕鯨業のエコノミー(p43) →ビーチコーマーやカナカという存在は初めて知った。 ・基地の整理/固定化と開発/難民化(p171) →硫黄島が軍事上の重要な意味がある為に民間人を住まわせないようにしている事がわかった。 ・第3章入植地から戦場へ(p100) →これらの群島でどのように経済的発展があったのか知らなかったので興味深かった。また、強制疎開による難民化の問題は知らなかった。 旧島民の帰還が実現しても、かつての農業の復興は難しく、第三次産業に偏った労働市場が形成されているのも興味深かった。 2.参考にならなかった所(つっこみ所) ・すなわち、現在に至るまで沖縄島とその周辺の島に米軍施設・軍用地が集中しているのは、米国の世界戦略と日米安保体制の矛盾を押し付けておく場として、沖縄が最も容易に利用可能だったからにほかならない。(p162) →そんな感情的な考えだけで沖縄の基地を利用していたとは思えない。何らかの地政学的戦略があったからだと思う。 ・間太平洋の島々が植民地主義と軍事主義のもとで強いられてきた難民化や被曝の経験と、日本内地における開発主義の破綻を象徴する原発の爆発がもたらした難民化や被曝の経験を、ひとつづきの事態として思考することを求められている。(p183) →原発事故が開発主義の破綻とは思わない。事故による難民化と戦争による難民化は全く別問題だと思う。 ・4章で頻繁に使用される「日米合作」にどういう意味があるのか? 3.実践してみようとおもうこと ・ 5.全体の感想・その他 ・著者が反米感情を持っているように感じられた。 ・戦争中に硫黄島や小笠原諸島で徴用され生き残った人達にインタビューして証言を記録に残したのは歴史的価値があると思う。

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2018/11/24

小笠原諸島や硫黄島などの北西太平洋の群島から近代世界を捉えなおす試み。 勉強になるいい本だと思います。

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2015/07/31

 小笠原諸島という名から多くの人々が連想するのは、美しい・珍しい自然に彩られた世界遺産の島々ということだろう。その一方で、アジア太平洋戦争以降の日本で、小笠原諸島が近代世界の中でたどってきた社会史的な経験はほとんど注目されることはなかった。そこで本書は、小笠原諸島を含む群島で生き...

 小笠原諸島という名から多くの人々が連想するのは、美しい・珍しい自然に彩られた世界遺産の島々ということだろう。その一方で、アジア太平洋戦争以降の日本で、小笠原諸島が近代世界の中でたどってきた社会史的な経験はほとんど注目されることはなかった。そこで本書は、小笠原諸島を含む群島で生きてきた人々がたどってきた経験に照準し、小さな群島の眼から近代社会を捉えなおすことを試みる。  ポスト冷戦状況の中では、これらの島しょはグローバルな米軍再編の中で秘密基地としての機能がむしろ強化されている。そして、住民とその子孫の帰還のめどがまったく立っていない硫黄島に代表されるように、彼らの近代経験は、植民地主義の1つの焦点を構成している。  琉球とは別の側面を持つ島しょ問題の存在を、独自の視点から判然と浮き上がらせる労作。

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2015/05/05

16〜19世紀にかけて、船によるグローバリゼーションが進んだが、乗組員は過酷な労働を強いられていた。乗組員には、ヨーロッパやアメリカ人のみならず、寄港先の原住民も採用されていた。乗組員の中には過酷な労働から逃れるために寄港先で脱走するものもあり、そのような人にとって住みやすいのは...

16〜19世紀にかけて、船によるグローバリゼーションが進んだが、乗組員は過酷な労働を強いられていた。乗組員には、ヨーロッパやアメリカ人のみならず、寄港先の原住民も採用されていた。乗組員の中には過酷な労働から逃れるために寄港先で脱走するものもあり、そのような人にとって住みやすいのは、無人島であった(既に原住民の社会が形成されていると、そこには入って行きにくいので)。無人島で彼らは自律的な社会領域を形成していた。 小笠原諸島や硫黄諸島は、19世紀初頭まで無人島だった。19世紀には、幕府ないし明治政府により、小笠原諸島を領有しようという動きが出てくる。1876年に実質的な併合に成功するが、先住者の経済活動は黙認されており、その法的な規制は不可能な状態であった。 19世紀末から20世紀になると、小笠原諸島や硫黄諸島に入植者が増え始める。当初はアホウドリなどの乱獲によって財を成す者もいた。のちには農業を軸とした入植地となる。 しかし、太平洋戦争によって住民は島を追われる。戦後もアメリカの統治下におかれ、とくに硫黄諸島は未だに住民の帰還が叶っていない(自衛隊の基地になっている)。一方、住民のうちアメリカ系のルーツを持つ者に対しては、アメリカがグアムやハワイへの留学や、米軍での雇用を斡旋し、ライフコースを囲い込んだ。その他の住民に対しては、日米が補償金を支払うなどしたが、その配分などを巡って住民間での対立が生じた(まとめた金額を提示して、島民たちで分配する方式にしたため)。

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