日本語に生まれて の商品レビュー
ことばについて考えさせられた。ことばと思考は繋がっている。ことばが違えば、文化も違うし表現も考え方も違う。 翻訳が発達しているがために、日本は日本にいながら他の言葉を知らずとも他の国の情報をたくさん仕入れられる稀有な国だ。世界標準が広がっていくなか、これからの日本はどうなっていく...
ことばについて考えさせられた。ことばと思考は繋がっている。ことばが違えば、文化も違うし表現も考え方も違う。 翻訳が発達しているがために、日本は日本にいながら他の言葉を知らずとも他の国の情報をたくさん仕入れられる稀有な国だ。世界標準が広がっていくなか、これからの日本はどうなっていくんだろう。 そして、紙の本が消えていくというのも、読んでいるとなんだか自然な流れな気がしてきた。遠くない将来、髪の本は「本好き」のための特別なものになるのだろう。
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今では大型書店にあまり足を運ばなくなったが、社会人になりたての頃、週末ごとに梅田の旭屋か紀伊國屋に立ち寄り、文字どおり財布が裏返るほど本を買っては、コーヒーショップで拾い読みするのが、なによりの楽しみだった。 棚から棚をさまよい背表紙を眺めていると、見えない鍵が脳の襞の奥にある扉...
今では大型書店にあまり足を運ばなくなったが、社会人になりたての頃、週末ごとに梅田の旭屋か紀伊國屋に立ち寄り、文字どおり財布が裏返るほど本を買っては、コーヒーショップで拾い読みするのが、なによりの楽しみだった。 棚から棚をさまよい背表紙を眺めていると、見えない鍵が脳の襞の奥にある扉を次々と開けて栄養を注入してくれる気がするくらい、本は若い私の「ごはん」そのものだった。だって、本しかない時代だったんだもの。 当たり前のことのように思っていたけれど、母語(日本語)で話し、読み、書き、学び、仕事もできてしまうというのは、地球上の国ぜんぶから見れば、貴重なことなのかもしれない。 比較文学・比較文化を研究する、ほぼ同世代の著者は、トンガやマルティニーク、オーストラリア、エストニアなどで本屋さんを訪ね歩き、いろんなことを考察する。そしておわりには、「一冊の本が、頁の内に変わらぬ唯一の物語を閉じこめて何年も書棚でひっそりと読み手の手がのびてくるのを待っている、そんな景色は遠からぬ未来に終わりを迎えるのかもしれない。わたしたちは紙の本と町の本屋さんの時代の最後に立ち会っているのかもしれない」と書く。 私もそう思う。だから、本の黄金時代に居合わせた幸運をかみしめて、これからも本を買い、本を読み、その豊かな世界を人と共有したい。
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朝日新聞の書評で出会う。当たり。著者は比較文化の大学教授、日本人女性、40代後半。仕事で東京、大阪、モスクワ、メルボルン、ロンドンなどに移り住んだほか、子どものころエストニアに住んでいたり。仕事で訪れる大小の国々で本屋さんを訪ねる。トンガ、ドミニカ、インド、オーストラリア、エスト...
朝日新聞の書評で出会う。当たり。著者は比較文化の大学教授、日本人女性、40代後半。仕事で東京、大阪、モスクワ、メルボルン、ロンドンなどに移り住んだほか、子どものころエストニアに住んでいたり。仕事で訪れる大小の国々で本屋さんを訪ねる。トンガ、ドミニカ、インド、オーストラリア、エストニア、、、。外国にいるからこそ実感する、「日本人、日本、そして日本語」の特殊性。「ひとつところにずっといなきゃとおもいこむのはばからしい。そのときの気分で、いろんな国籍になってみたり、どこか別なところへいってみたりできるほうがいい。(深沢七郎の人間滅亡の歌、に共感して)」「いろいろほっつき歩いて、帰らなくなる人もいる。帰っていく人もいる。すくなくともいまは、私は帰っていくつもりでいる。一番の理由はたぶん、日本語に生まれたから。」「日本人がおもうよりも日本人は日本人以外にとって、“異なる”人々なのだ、たぶん。」。。そのほか、「これ以上便利すぎ、はやすぎることを人々は本当に求めているのだろうか」「日本語でしか書かれていないものは、日本語がわかる人にしか発信しようがない、理解してもらいようがないということに何人の日本人が気づいているのか」など、どきりとする言葉にたくさん出会える。いい筆者を教えてもらった。これから、彼女の著作を読むのが楽しみ。久しぶりにぎゅっと集中して、1泊で読了。
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