司馬遼太郎が描かなかった幕末 の商品レビュー
松陰、松陰門下の研究では第一人者の一坂氏の著作。 司馬遼太郎の作品はあくまでも『小説』であって虚構がある事を丁寧にふんだんな資料で説明してゆく。 これは解っていても司馬遼太郎ファンには切ないことだろうと思う。私も司馬遼太郎は好きなので気持ちは分るつもりだ。だが、筆者は決して司馬遼...
松陰、松陰門下の研究では第一人者の一坂氏の著作。 司馬遼太郎の作品はあくまでも『小説』であって虚構がある事を丁寧にふんだんな資料で説明してゆく。 これは解っていても司馬遼太郎ファンには切ないことだろうと思う。私も司馬遼太郎は好きなので気持ちは分るつもりだ。だが、筆者は決して司馬遼太郎を否定しているのではなく、『虚構を持ち込んが背景、理由』も考え提示する。そして理解を示す。著者が司馬遼太郎を敬愛していることが解る。 一面で『維新の英雄』として小説に描かれた人物を政治家等が盲目的に尊敬し、「私の理想です」という態度には批判的だ。私も同感。小説の登場人物を理想にしてはいけないだろう。 若いときに『三国志演義』を読んでいたく感動し、その後『正史三国志』に進み、研究書にも接したが、その時の失望と新たなおもしろさの発見を思いだした。
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[ 内容 ] 国民的作家として読み継がれている司馬遼太郎。 そのあまりの偉大さゆえに、司馬が書いた小説を史実であるかのように受け取る人も少なくない。 しかし、ある程度の史実を踏まえているとはいえ、小説には当然ながら大胆な虚構も含まれている。 司馬の作品は、どこまでが史実であり、何...
[ 内容 ] 国民的作家として読み継がれている司馬遼太郎。 そのあまりの偉大さゆえに、司馬が書いた小説を史実であるかのように受け取る人も少なくない。 しかし、ある程度の史実を踏まえているとはいえ、小説には当然ながら大胆な虚構も含まれている。 司馬の作品は、どこまでが史実であり、何が創作なのか? 吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作が活躍する司馬遼太郎の名作をひもときながら、幕末・維新史の真相に迫る。 [ 目次 ] 第1章 吉田松陰と開国(『竜馬がゆく』と龍馬「愚童」説;象山塾入門を無視した司馬の意図 ほか) 第2章 晋作と龍馬の出会い(晋作、佐久間象山に会う;『世に棲む日日』に登場しないもう一人の師 ほか) 第3章 高杉晋作と奇兵隊(松陰改葬に秘められた政治目的;「三枚橋の中の橋を渡った」のは本当か ほか) 第4章 坂本龍馬と亀山社中(龍馬と横井小楠の会談;亀山社中創立時に龍馬はどこにいた? ほか) 第5章 描かれなかった終末(長州藩の戦意高揚作戦;英雄に甘かった司馬遼太郎 ほか) [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]
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本書は司馬遼太郎の名作「世に棲む日々」、「竜馬がゆく」に描かれる吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬といった幕末の英雄像に対して、歴史の専門家の立場として史実に則った検証を試みているものである。 作者は国民作家である司馬遼太郎の作品を通して描かれる英雄像に対して、国会議員をはじめとして無...
本書は司馬遼太郎の名作「世に棲む日々」、「竜馬がゆく」に描かれる吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬といった幕末の英雄像に対して、歴史の専門家の立場として史実に則った検証を試みているものである。 作者は国民作家である司馬遼太郎の作品を通して描かれる英雄像に対して、国会議員をはじめとして無邪気に受け入れる読者への影響を危惧しているらしい。ところどころ「司馬史観」に対する危惧が感じられる。 Amazonのレビューではかなり高評価が多いのだが、ボクとしては本書の意義が感じられない。 影響力が高いとはいえ司馬遼太郎が描いたものは歴史小説なのである。けして歴史書ではない。 小説家は『ものがたり』を紡ぐのが職業であるため、当然のことながら物語のストーリーを重視して描くものである。乱暴な言い方をすると「嘘ついて客を喜ばせてなんぼ」の商売である。 それに対して、いちいち『小説の中ではこうだが、史実は異なる。実際はこうであった。なぜ司馬遼太郎はこれを描かなかったのか?』といちいち反論することになんの意味があるのだろう? 司馬作品の時系列に対して実際の吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬の行動・判断はそれぞれこうであったという資料に基づいた検証ということであれば、そういうスタンスでまとめたほうが歴史好きなボクとしては素直に受け入れやすい。 いちいち司馬作品の中身に触れての反論というスタンスは、作者自らが危惧している司馬遼太郎の影響力を当てにしてのプロモーション的な意味合いがあるのではないかとかえって穿った見方をしてしまうのだ。 そういう意味では、ボクにとっては本書は非常に残念な印象なのである。 あくまで司馬作品に対する検証というスタンスを崩したくないのであれば、歴史家としての検証だけでなく、『史実はこうだが、なぜこのとき司馬遼太郎は異なるストーリーとしたのか?時代背景を考慮すると司馬遼太郎の思惑はこういうところにある。また、前後のストーリーを考慮するとこの流れが自然である。』とか文芸批評のような形でまとめるべきではなかったか?と。
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司馬さんの小説が事実と思っている人は案外多い。英雄視される小説上の晋作、松陰、龍馬についての文献と小説の差異を客観的に指摘している本。但し書ききってないようなので読後は、消化不良感が残る。司馬さんは英雄伝を書き、通説を事実と思わせる書き方をたまにするので、その事を理解して小説とし...
司馬さんの小説が事実と思っている人は案外多い。英雄視される小説上の晋作、松陰、龍馬についての文献と小説の差異を客観的に指摘している本。但し書ききってないようなので読後は、消化不良感が残る。司馬さんは英雄伝を書き、通説を事実と思わせる書き方をたまにするので、その事を理解して小説として楽しむのは良いと思う。
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司馬遼太郎は作家であって歴史家ではない。わかっていても読んでる間はのめり込んじゃうんだよねー。書かなかったことを列挙することで司馬の作家性が浮き彫り になって逆に凄いひとだと思えてくる。実は個人的に吉田松陰がちょっと苦手だ。理由は常にテンション高そうだから。疲れそう。実際どうかは...
司馬遼太郎は作家であって歴史家ではない。わかっていても読んでる間はのめり込んじゃうんだよねー。書かなかったことを列挙することで司馬の作家性が浮き彫り になって逆に凄いひとだと思えてくる。実は個人的に吉田松陰がちょっと苦手だ。理由は常にテンション高そうだから。疲れそう。実際どうかは知らないわけで、そ ういう印象のほとんどがフィクションからきてるのだろうが、松陰には大和魂で爆走して欲しいし、晋作は将軍に野次とばして欲しい。龍馬は薩長同盟に裏書きした にいちゃんぐらいの感想しかないのでわりとどういうのでもいいです
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中学生の頃に”竜馬がゆく”を読み憧れ、何度も読み直してる。 全8巻を人にあげたことも2回あるw そして、卒論も坂本龍馬。 ”坂本龍馬日記”という当時の最新資料を読みながら、”竜馬がゆく”ではない龍馬を発見。 山岡荘八さんの”徳川家康”を読んでから司馬遼太郎さんに対する”?”も...
中学生の頃に”竜馬がゆく”を読み憧れ、何度も読み直してる。 全8巻を人にあげたことも2回あるw そして、卒論も坂本龍馬。 ”坂本龍馬日記”という当時の最新資料を読みながら、”竜馬がゆく”ではない龍馬を発見。 山岡荘八さんの”徳川家康”を読んでから司馬遼太郎さんに対する”?”も生まれたから、卒論作成時から色々想うところあり、本書も全然違和感無く読めた。 ってか、秀逸。 ただ、それでも坂本龍馬が魅力的なのは変わらない。 あ、何度も伝えてるけど、良ければ俺の卒論もw http://downpicker.com/sotsu.htm というわけで、本当に良い本でした。
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司馬遼太郎の著作から松陰、龍馬、晋作の事実と違う部分を書いています。司馬史観というより、完全な事実の歪曲という部分もあり見方を変える必要があります。小説として司馬遼太郎の著作は、信念を持った日本人の生きざまを示し勇気をくれるものと愛読していましたが、小説である事を再認識しました。...
司馬遼太郎の著作から松陰、龍馬、晋作の事実と違う部分を書いています。司馬史観というより、完全な事実の歪曲という部分もあり見方を変える必要があります。小説として司馬遼太郎の著作は、信念を持った日本人の生きざまを示し勇気をくれるものと愛読していましたが、小説である事を再認識しました。ただそのことを差し引いても魅力ある小説であると思います。
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吉田松陰、高杉晋作、坂本竜馬、、幕末史を彩る英雄たちの活躍について、我々現代人が認識している歴史は、実は司馬遼太郎という稀代のストーリーテラーによって“創作”されたものが多い。 彼らの行動が日本の歴史を変えた、という英雄礼賛なコメントは多くの政治家や経営者から聞かれるものである...
吉田松陰、高杉晋作、坂本竜馬、、幕末史を彩る英雄たちの活躍について、我々現代人が認識している歴史は、実は司馬遼太郎という稀代のストーリーテラーによって“創作”されたものが多い。 彼らの行動が日本の歴史を変えた、という英雄礼賛なコメントは多くの政治家や経営者から聞かれるものである。だがよくよく歴史を検証してみると、後付けで英雄に仕立て上げられたケースは枚挙に暇がない。 吉田松陰と坂本竜馬は実際には会っていないし、高杉晋作の辞世の句は亡くなる際に詠まれたものではない。。等々、我々が心を動かされるエピソードが実は司馬遼太郎による演出の結果だという。 もちろんそれは英雄たちの価値を下げることには繋がらないし、我々が得た感動が間違いだということでもない。それは個人に翻ってみても、想い出は美化されるし過去のそれぞれの点が繋がって一つの流れになる。 歴史は異能の傑物たちによってドラマティックに変えられるのではなく、市井の名もなき人々の暮らしの積み重ねこそが新しい時代をつくっていくのだ。
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司馬作品を数多く読み、幕末のこの国の歴史にある程度詳しく又歴史好きの読者ならば、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作らの考え方、生き方をもとにこの本を参照できるだろう。 司馬作品は小説である。小説には当然作者の考え方でつくられる場面や考え方が登場する。ゆえに、司馬遼太郎が描かなかった・・...
司馬作品を数多く読み、幕末のこの国の歴史にある程度詳しく又歴史好きの読者ならば、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作らの考え方、生き方をもとにこの本を参照できるだろう。 司馬作品は小説である。小説には当然作者の考え方でつくられる場面や考え方が登場する。ゆえに、司馬遼太郎が描かなかった・・・。と考察する姿勢については面白く参考にしたが・・・?「司馬史観」を恐れすぎかな?
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琥珀色の戯言より。◆◆司馬史観の弊害を再認識する。◆竜馬も晋作も作られた虚像である。◆◆特に明治に入ってからの奇兵隊の反乱のことや、わざわざ書かなかった部分の意味を考えると、考えねばならない。
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