ヴェルヌの『八十日間世界一周』に挑む の商品レビュー
1889年11月14日、世界一周をするためにニューヨークを出発した二人の女性記者。東回りと西回り。二人とも75日間以内に再びニューヨークに帰ってくることに挑戦。最初にこの企画を思いついたネリー・ブライと、この企画に触発された編集者によって送り出されたエリザベス・ビズランド。彼女た...
1889年11月14日、世界一周をするためにニューヨークを出発した二人の女性記者。東回りと西回り。二人とも75日間以内に再びニューヨークに帰ってくることに挑戦。最初にこの企画を思いついたネリー・ブライと、この企画に触発された編集者によって送り出されたエリザベス・ビズランド。彼女たちの旅の様子も興味深いのだが、時代背景や、スポンサーである新聞社の宣伝効果、到着時刻を賭けて国をあげての熱狂ぶりなども面白い。ようやく女性新聞記者が登場するが、家庭欄の担当に回されることの多い状況の中で、文筆で身を立てようとする彼女たちの九郎。当時でも珍しい女性の一人旅は、船酔いに苦しんだり、乗り継ぎに苦労することも多いが、旅の途中で出会った人との会話などユーモラスな場面も多い。蒸気機関での旅を可能にするのは、火夫と呼ばれる石炭をくべる役の人たちの過酷な労働環境。人力車や苦力のかつぐ籠での観光、3等船室で旅をする中国人たちなど貧しい人たちの姿も描かれる。旅程のほとんどは大英帝国の版図。旅の途中で会うイギリス人の様子に苛立つネリーの愛国者ぶりに笑いつつ、日本が好意的に書かれていることに喜ぶ私も、それなりの愛国者だった。
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こんなことがあったと初めて知った。 2人の女性記者による世界一周旅行について書かれたノンフィクション。 とても興味深い内容だったものの、その厚さに 途中飛ばし読み読みしてしまったので、あらためて読む。
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1889年、ネリー・ブライとエリザベス・ビズランドという2人の若いアメリカ女性がヴェルヌの「80日間世界一周」の向こうを張って短時間世界旅行競争をするというもの。 二人の人物像や競争の顛末だけで無く、当時の交通機関、世界情勢、アメリカの世相等が描かれて面白い。 ラフカディオ・ハー...
1889年、ネリー・ブライとエリザベス・ビズランドという2人の若いアメリカ女性がヴェルヌの「80日間世界一周」の向こうを張って短時間世界旅行競争をするというもの。 二人の人物像や競争の顛末だけで無く、当時の交通機関、世界情勢、アメリカの世相等が描かれて面白い。 ラフカディオ・ハーン、ヴェルヌ、ピュリッツァーなど、脇役も豪華。 金原瑞人、井上里の翻訳がいいせいかもしれないが、文章も上手い。しかし、上手すぎて、 ノンフィクションなので、全て登場人物の手記等に基づく と書いてあっても、フィクションじゃ無いかと思ってしまう。 エリザベスが太平洋横断の終着点である日本の最初の影として富士山を洋上から認め、「語り継ぎ言い継ぎ行かむ富士の高嶺は」を思い出したと書かれると本当かと思いますよねえ。幾ら何でも教養ありすぎ。原文当たりたい。いや、もしかして、エリザベス本人が後日書いた旅行記の本人による脚色ってことかな。後で知った歌を、当時の気持ちに重ねてしまうって言う。 旅行後の二人の人生も興味深い。
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読んでいて途中ちょっとダレるところもあったんだけど、いろんな意味で対照的な二人の旅(その後も含めて)は面白かった。514pのアメリカ人の海外旅行ぶりがなんか笑えた。こういう旅行者って当時のアメリカ人に限らず今だっているよなあ、絶対。
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二人の女性記者の旅路だけでなく、当時の女性の社会進出具合や鉄道の状況、富裕層と貧困層、そういう十九世紀末の世相も解説されていて面白かった。そして、世界一周旅行を終えた後の二人の人生。何が良いのか悪いのか分からないのが人生というものなのだろう。
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ベルヌの「八十日間世界一周」が発表されたのが1872年。そして1889年の末に米国人記者が小説に書かれた80日をどれだけ短縮できるかに挑戦した。挑戦したのは2人の女性記者、しかも同日ニューヨークを出発し一人は東回り一人は西回りのコースをとった。 船と汽車で通過した各地でのできご...
ベルヌの「八十日間世界一周」が発表されたのが1872年。そして1889年の末に米国人記者が小説に書かれた80日をどれだけ短縮できるかに挑戦した。挑戦したのは2人の女性記者、しかも同日ニューヨークを出発し一人は東回り一人は西回りのコースをとった。 船と汽車で通過した各地でのできごとはベルヌの小説に比べると地味で(パスパルトゥーも居ないし当然だけど)それほど面白くないが(フランスのヴェルヌ邸を訪問しヴェルヌ夫妻と会見するところは興味深かったが)、女性ジャーナリストのはしりとも言える2人の生い立ちや、当時の女性の社会的地位や当時のジャーナリズムの在り方、それらを含む世相がとても面白い。わずか100年ほど前のことに過ぎないが、現在とは途方もなく異なっている。 そしてなによりも面白いのは、世界一周を終えてからの2人が歩んだ人生だ。
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『十五少年漂流記』は読んだ。『海底2万マイル』も読んだ。でも、『八十日間世界一周』は読んでいない!!というか、存在を知らなかった。さらに、実践しようとした人がいたことも初耳。なんてことだ!!そんなことを19世紀に、しかも、女性がやってのけたことに感動する。ぜひ、読んでください。
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「八十日間世界一周」が出版された1873年から16年後の1889年に、実際に世界一周に挑戦した二人の女性記者を描くノンフィクション。勝者はネリーブライ、記録は72日と6時間。 同日に東回りと西回りで別々の女性記者が出発して、世界一周達成を競っていた。当時大変な話題になったという、...
「八十日間世界一周」が出版された1873年から16年後の1889年に、実際に世界一周に挑戦した二人の女性記者を描くノンフィクション。勝者はネリーブライ、記録は72日と6時間。 同日に東回りと西回りで別々の女性記者が出発して、世界一周達成を競っていた。当時大変な話題になったという、マスコミの煽り方、反応が面白い。 500頁もある大著で、新聞記者になるまでの記述が長すぎる感じもするが、退屈はしなかった。 100年前は船も鉄道も全く蒸気機関であり、旅の時間はゆったりと流れていく。立ち寄った先々の描写も楽しい。日本も何頁か費やされているがもっと読みたい気持ちにさせる。 世界一周で終わりではなく、その後の人生まで描かれている。 勝者であるネリー・ブライは大変な名声を得たが、それに振り回されている感が有る。大富豪(40歳年上!)と結婚したが10年で死別。エリザベスは、敗者でもあり振り回されることは無かったが、やはり夫とは死別、二人とも余り幸せではない余生を送っている。 飛行機の登場以降、世界は劇的に小さくなり世界一周する事の意味は失われてしまった。この二人の偉業を覚えている人も殆どいない。(らしい) ジュールヴェルヌの空想の産物である「80日間世界一周」と競う。(作品中にジュールヴェルヌ本人が出てくる!)いかにもアメリカ的な発想、それを実現させてしまうのが女性二人と言うのがアメリカらしい。 面白い読み物でした。
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「八十日間世界一周」は面白く読んだものだが、同書が出版された1873年から16年後の1889年に、実際に最速の世界一周に挑戦した女性記者がいて72日と6時間あまりで達成していたことは知らなかった。しかも、同日に東回りと西回りで別々の女性記者が出発して、最速の世界一周達成を競ってい...
「八十日間世界一周」は面白く読んだものだが、同書が出版された1873年から16年後の1889年に、実際に最速の世界一周に挑戦した女性記者がいて72日と6時間あまりで達成していたことは知らなかった。しかも、同日に東回りと西回りで別々の女性記者が出発して、最速の世界一周達成を競っていたとは。 本書は、その女性記者である、ワールド紙のネリー・ブライとコスモポリタン誌のエリザベス・ビズランドのそれぞれの生い立ち、世界一周、そしてその後を丹念に記している。500ページあまりの大著で、生まれ育ちの紹介などが長すぎる感じもあるが、2人の人生の共通点と相違点をしっかり表すという意図があったのだろう。また、今から100年あまり前のアメリカで、女性の社会的地位が極めて低かったという事実にも多くの紙数が費やされている。さらに、ピューリッツァー賞でおなじみのジョセフ・ピューリッツァーやラフカディ・オハーンまで出てきて、意外性もたっぷりある。その意味で、世界一周の記録以外にも見どころがいっぱいある。 2人の挑戦者は、世界一周の中で日本にも立ち寄っており、2人ともかなり日本を気に入ったらしい。ただ、本書では、ビズランドの日本滞在は詳しく書かれているが、ネリー・ブライの方はほとんど触れられていないのは残念だ。 世界一周の勝者であるネリー・ブライは大変な名声を得たが、その後の人生にはあまり恵まれなった。敗者であるビズランドは、その後に幸福な結婚とあまり幸福でない老後を送った。人生、何をもって成功と言えるのか、ということまで考えさせられる一冊だった。
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