古本の時間 の商品レビュー
ツヴァイクの「書痴メンデル」のような人たちが次々に出てきて興味深く読んだ。有名にならずに亡くなった作家がいて、その作品を追い求める人たちがいて、さらにはその周辺に、記録すら残っていないたくさんの人たちが生きていたということを思った。
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『図書新聞』連載のコラムを中心にまとめられた、『石神井書林日録』の続編。諸所に、古書を愛する者としての気概が感じられます。高田馬場の新刊書店に営業に出かけた時のエピソードが、特に胸に残ります。
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最近古本にハマっている。 "牧歌性"という言葉がよく用いられているが、 古本屋をやってる人々の、本を"買う"ことを楽しむ心、また自分の好きを集めて店の色を決めていく決意、世間とは違う時間の流れ、みたいなものをその言葉の中に感じた。 固...
最近古本にハマっている。 "牧歌性"という言葉がよく用いられているが、 古本屋をやってる人々の、本を"買う"ことを楽しむ心、また自分の好きを集めて店の色を決めていく決意、世間とは違う時間の流れ、みたいなものをその言葉の中に感じた。 固有名詞が多かったり、新聞への連載を箇条書き風に掲載していたり、 その読みづらさ自体に古本屋が連想された。
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古本の世界に造詣が深い向きには堪らん内容なのかな。読書は好きだけど古書には手が回らず、更に詩歌となるともっと高いハードルを感じてしまう自分としては、正直縁遠い(おそらく本書を読み終わった今後も)世界。でも情熱はヒシヒシと感じられたこともあり、結局最後まで読了はしてしまった。それに...
古本の世界に造詣が深い向きには堪らん内容なのかな。読書は好きだけど古書には手が回らず、更に詩歌となるともっと高いハードルを感じてしまう自分としては、正直縁遠い(おそらく本書を読み終わった今後も)世界。でも情熱はヒシヒシと感じられたこともあり、結局最後まで読了はしてしまった。それにしても、~逝去やら、~閉店やらっていう、色んな終わりがひたすら目につく。著者がそういう年齢ってことなんだろうけど、そこはかとない寂寞感が漂う作品でした。
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東京の古本屋さんが、「図書新聞」に連載しているコラム約10年分をまとめたもの。 古本屋さんには、独自の時間が流れているように思う。 少し前まで、町の中にちらほら見かけた古本屋さん。 新刊書店では見かけないけれどちょっと面白そうな本が、少しくたびれた顔をして棚に並んでいた。 その...
東京の古本屋さんが、「図書新聞」に連載しているコラム約10年分をまとめたもの。 古本屋さんには、独自の時間が流れているように思う。 少し前まで、町の中にちらほら見かけた古本屋さん。 新刊書店では見かけないけれどちょっと面白そうな本が、少しくたびれた顔をして棚に並んでいた。 その背表紙を見て歩くのが好きだった。 もちろん、専門書ばかりをそろえている、敷居の高そうな本屋さんもあったけれど。 内堀さんは、詩歌専門の古書店を営んでいる。 ものすごく間口が狭そうで、「やっていけてるんですか?」と思うのだが、本を読む限りは楽ではないけれどやっていけているようだ。 経済的には楽ではなくても、それを上回る楽しさが、この本のあちこちから立ち上ってくる。 佳い本を見つける楽しみ。次の人に手渡す楽しみ。紹介する楽しみ。 楽しみの裏側にはもちろん大変なことも多いだろう。 騙されたり、損をしたことだって、欲しい本を手に入れられないことだってある。 毎日が勉強であり、真剣勝負だ。 本に対する愛情が、原動力になっているのだろうか。 “でも、古本屋に本を売るのは、そんなに本が可哀想なのだろうか。私は古本屋だけど、ここに来た本は本当に幸せだと思っている。本を次に活かすための努力を、ここでは愚直なほどに惜しまないからだ。” “古いものを買うということは、すなわちそれを思う自分を買うことだ。” “なるほど、凄い本があるわけではない。凄いと思う気持ちがあっただけなのか。” 古ければいいというものではないけれど、古いものの良さもわかる、そういう人でありたいと思う。 手間暇をかけることを無駄だと切り捨てたり、時間の中でくたびれていったものを汚いと表面だけで断じるようなことは、したくないと思う。 “書店という場所が「現場」から「職場」になっている。” “不便も無駄も通り抜けていない知識には味気がない” ネットで検索は便利だけれど、思いもよらないつながりを発見したり、ひょんなことから長年の疑問が解消したりっていうアナログの知識は、結構快感だと思うんだけどな。 本棚と本棚の間の通路すら本でいっぱいになってしまった古本屋さんが、道路拡張工事のため移転することになったとき “この本の山を崩していたら、中から50ccの原付バイクが出てきたというのだ。「そういえば何処にいったのかなって思ってた」” 呑気すぎるやろ~。 古本屋さんの入札会に、戊辰戦争で使われた大砲一門が出品されたこともあるそうだ。 “戊辰戦争のものとはいえ、大砲を勝手に売買するのは銃刀法違反ではないか、いや大砲といっても小さいから大丈夫(そういう問題ではないと思うが)、結局実用には堪えない骨董品ということで出品が認められた。” もう、愉快愉快。 大の大人が真剣にこんなやり取りをして、そうして日本の文化を守っていってくれているのだなあ。 だから私は新古書店に読んだ本は売らないと決めている。 あそこには本に対する愛情が感じられないからなあ。 だからといって目利きの古本屋さんに持って行って「この程度の人間か」と私を値踏みされるのも、怖くてできないでいるのである。 ああ、悩ましい。
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背表紙を見たとたんに手に取っていた 平野甲賀さんの装丁、晶文社、内堀弘さん こうやって「本」とつきあっている人たちが ちゃんといることに ほっとさせられる 人類は ずっとずっと昔から 紙の束としての「本」とつきあってきた いろんな形はこれからも出現するのだろうけれど 「本」の手...
背表紙を見たとたんに手に取っていた 平野甲賀さんの装丁、晶文社、内堀弘さん こうやって「本」とつきあっている人たちが ちゃんといることに ほっとさせられる 人類は ずっとずっと昔から 紙の束としての「本」とつきあってきた いろんな形はこれからも出現するのだろうけれど 「本」の手触を愉しむ文化は これからも有り続けるだろう と 強く思いました
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