盆栽/木々の私生活 の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
時間が前後したり、語り手が特定の1人ではなく変わったりしたためか(継父のフリアンと義娘のダニエラに)、二作品とも、物語の流れを掴んでいる感覚がなく、ふわふわと半分浮いているような気分になった。 でもそれが現実世界から自分を離してくれ、心地よい時間でもあった。 私にとっては、読むというより、感じる一冊だったように思う。
Posted by
冒頭で挫けかけたが、長い詩のようなものだと思うことにして、フワフワしながら読み終えた。盆栽が本当に日本のBONSAIだったので驚いた。
Posted by
虚無の海から時々声が聞こえてくる。 その声はクリアに響くが、すぐに消えていく。 後に残るのは沈黙。沈黙。沈黙。そして、声。 行き着く先が決まっていようと、聞きなれた声にハッと目がさめる。簡潔で清新な声が。今。
Posted by
この本はすごい。 演劇の文学のようであり、文学の文学のようであり。全部を語らない。オースター風味だな、と思ってたら、お前はオースターだといじられて俺はもうオースターなんて嫌いだよと主人公が言う箇所があった。 それと、松本健二さんの訳したポーランドのボクサーを想起させる要素がある...
この本はすごい。 演劇の文学のようであり、文学の文学のようであり。全部を語らない。オースター風味だな、と思ってたら、お前はオースターだといじられて俺はもうオースターなんて嫌いだよと主人公が言う箇所があった。 それと、松本健二さんの訳したポーランドのボクサーを想起させる要素がある。 それと、私も恋人とそういう習慣を持てたらよいのに、となかば思うけど終わりたくないし。その他のことは文学だ。 ーーー 最後に彼女は死に、彼はひとり残される。だが実際、彼女が死ぬ前、エミリアが死ぬ何年も前から、彼はひとりきりだった。彼女の名はエミリアという、あるいはエミリアといった、そして彼の名はフリオ、かつて今もそうだということにしよう。フリオとエミリア。最後にエミリアは死に、フリオは死なない。その他のことは文学だ。 いずれにせよ、エミリアとフリオの物語には嘘より省略が多く、省略より真実が、絶対的と言われ人を不安にさせる類の真実が多い。時間が、長いとは言えないがかなりの時間が経つにつれて、二人は、あまり公にはできない欲望や野心、抑えがたい感情、短いが拡張された人生について打ち明け合った。 このときから、毎晩フォジャールする前にそうして声に出してー小声でー本を読むのが習慣になった。…ペレックの『眠る男』と『物の時代』、オネッティとレイモンド・カーヴァーのさまざまな短編、テッド・ヒューズ、トーマス・トランストロンメル、アルマンド・ウリベ、クルト・フォルシュらの詩、ニーチェやエミール・シオランの抜粋まで読んだ。
Posted by
簡潔であり濃密、小説を外から眺めるメタ的語り口はときにシニカルさを生み、とつぜん枝葉を詳細に観察するような脱線が挿し込まれ、まさに題の通り植物を鑑賞するような読書。
Posted by
“ものを書くのは盆栽を世話することに似ている” そう文中で語るチリ人作家がえがく男女の出会いと別れ。 ラテンアメリカでは珍しい?詩的で言葉少なな文体、 行間を読ませる形で進む物語は こんなにも静か。 それでいてたくさんのことを私たちに語りかけてる。 ラテンアメリカの「侘び」と...
“ものを書くのは盆栽を世話することに似ている” そう文中で語るチリ人作家がえがく男女の出会いと別れ。 ラテンアメリカでは珍しい?詩的で言葉少なな文体、 行間を読ませる形で進む物語は こんなにも静か。 それでいてたくさんのことを私たちに語りかけてる。 ラテンアメリカの「侘び」と「寂び」。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
[ 内容 ] チリの首都サンティアゴに住む、作家志望の若者フリオ。 学生時代、彼にはエミリアという恋人がいた。 彼女と過ごした日々、二人が読んだ本の数々、現在フリオが書く小説「盆栽」の構想、そしてエミリアの死…メタフィクション的かつ斬新な語りと、生と死をめぐる即物的なまでの描写が胸を打つ(『盆栽』)。 ある晩、絵画教室から戻らない妻ベロニカを待ちながら、幼い義理の娘ダニエラを寝かしつけるために自作の物語「木々の私生活」を語り聞かせる日曜作家のフリアン。 妻は帰ってくるのか、こないのか。 不意によみがえる過去の記憶と、彼と娘の未来が、一夜の凝縮した時間から広がっていく(『木々の私生活』)。 樹木を共通のモチーフとして、創作と書物、失われた愛、不在と喪失の哀しみを濃密に浮かび上がらせる。 深い余韻を残す、珠玉の二篇。 [ 目次 ] [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]
Posted by
作者は本当に本が好きなのだと思う。読むことはもちろん書くことが。川端康成まで引っぱってくるのもそう思う理由の一つ。けれども度々登場する固有名詞がクドく感じた。文体もミニマルな語りと表現されているが、大筋の時間軸を変え、様々な視点、表現で肉付けしていくやり方にも削ぎ落とされたとい...
作者は本当に本が好きなのだと思う。読むことはもちろん書くことが。川端康成まで引っぱってくるのもそう思う理由の一つ。けれども度々登場する固有名詞がクドく感じた。文体もミニマルな語りと表現されているが、大筋の時間軸を変え、様々な視点、表現で肉付けしていくやり方にも削ぎ落とされたというよりはクドさがあるように思えてどうも僕には合わなかった。 哲学的な言い回しは気にかかるとこもあって “フリオは真剣な交際を避け、女とではなく真面目さと距離を置いていた。真面目さが女と同じくらい、あるいはもっと危険であることを知っていたからだ。”(15ページ) という部分は特に気に入った。
Posted by
フリオとエミリア。最後にエミリアは死に、フリオは死なない。その他のことは文学だ。と始まる。 そんな風に感想も仕上げてみる。フリオと関係をもった女性達、その他の事は文学だ。 とっても面白かった、これぞ南米!
Posted by
軽く不確かな人生は、一般的な日本人にはピンとこないものかも。安定を望み得ない社会だからこその軽さ、みたいな気がする。文章に描かれない社会の混迷がありそう…これは、チリの作家に対する私の先入観かも。
Posted by
- 1
- 2