少女マンガの表現機構 の商品レビュー
手塚治虫の『リボンの騎士』を中心に、彼の少女マンガ作品におけるキャラクターの造形と表現について考察をおこなっている本です。 著者はまず、従来のマンガ評論において、手塚治虫を「マンガ」の起源とする見かたや、あるいは二十四年組を「少女マンガ」到達点とし、その起源として「性別越境」の...
手塚治虫の『リボンの騎士』を中心に、彼の少女マンガ作品におけるキャラクターの造形と表現について考察をおこなっている本です。 著者はまず、従来のマンガ評論において、手塚治虫を「マンガ」の起源とする見かたや、あるいは二十四年組を「少女マンガ」到達点とし、その起源として「性別越境」のモティーフをあつかった手塚の『リボンの騎士』を位置づける見かたを相対化し、「マンガ」や「少女マンガ」についてのこれまでの議論の枠組みにとらわれることなく、『リボンの騎士』をはじめとする「手塚治虫の少女マンガ」そのものの検証に向かうことを宣言します。 つづいて、大塚英志の『アトムの命題』や伊藤剛の『テヅカ・イズ・デッド』などの評論でおこなわれているキャラクターと表現形式をめぐる議論をあらためて整理しなおし、手塚の作品をもとに、図像の連続的なつらなりのなかでキャラクターがかたちづくられていることを考察しています。 最後に、こうした「マンガ」とその表現をめぐる考察の視点が、手塚以降のマンガの分析においてどのような展望を開くことができるのかということが、いくつかの作品を例に語られます。 本書は著者の博士論文がもとになっているということで、「マンガ評論」というより「マンガ研究」としての性格が強いように感じます。その意味では、たとえば本書で批判的に言及されている大塚や伊藤の議論よりも綿密な分析がなされている一方で、マンガの考察を通じて大塚らの見ようとしていた大きなテーマが主題として設定されておらず、個人的にはもの足りなさをおぼえてしまいました。
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漫画評論の世界は大変なことになってるな、という印象。 本書には、伊藤剛の「キャラ/キャラクター論」を踏まえて、キャラを論じている箇所がある。 「キャラ図像」「キャラ人格」「登場人物」という三項によって行われる分析は、集中して読めば、論理は明快だという印象を受ける。 しかしやはり...
漫画評論の世界は大変なことになってるな、という印象。 本書には、伊藤剛の「キャラ/キャラクター論」を踏まえて、キャラを論じている箇所がある。 「キャラ図像」「キャラ人格」「登場人物」という三項によって行われる分析は、集中して読めば、論理は明快だという印象を受ける。 しかしやはり、もっと直感的な理解ができないものか、という不満が残る。 議論が複雑になり抽象化していくのは、最近の漫画評論の特徴だと思う。 漫画が直感に訴える表現なだけに、それを論じた漫画評論が直感からかけ離れていくのは残念。 キャラという概念がとてもやっかいなのだろうなあ。 キャラの概念は漫画の領域にとどまるものではない。 アニメ、映画、絵画…、あらゆる視覚表現を視野に入れなければ、キャラの正体はわからないだろう。
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対象の選択がやや技巧的か。リサーチメソッドの確立していない分野は大変だよね。専門的過ぎて内容に深くコメントはできないけど。
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