遅れてきた青年 の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
大江健三郎の描く戦後文学は、戦後生まれの僕達にとって、もはや神話である。 鬱屈した自意識過剰な主人公。 19世紀西洋小説的。 ロマン・ロラン的。 文庫本あとがきによると、大江健三郎自身が終戦当時、そのような感慨を抱いていたらしいが、この長編は、第2次世界大戦の戦線に立つのに”遅れた”という意識を持つ青年が主人公であるところが、戦争を全く知らない僕には興味深い。 ある意味、必然的でない後半の犯罪が、小説に影を彩る。
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10年ぶりくらいに再読。以降の長い作家生活の中での作品を思うと、これは初期の総括と言える作品かもしれない。政治的と対比させた大江健三郎の性的な、負け犬的なモチーフが些か中二病的な趣きを讃えながら、漲っている。
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再読。作中にも一瞬顔を出すジュリアン・ソレルを下敷きに、そしてまた『芽むしり仔撃ち』の面影をも揺曳させつつ、逆説的に語られる「わたし」の自叙伝。「すでにわたしはいかなる人間の情熱をかきたてるヒーローでもなく、いかなる世代の証人でもない。わたしは、あなたとおなじだ。」―こうして閉じ...
再読。作中にも一瞬顔を出すジュリアン・ソレルを下敷きに、そしてまた『芽むしり仔撃ち』の面影をも揺曳させつつ、逆説的に語られる「わたし」の自叙伝。「すでにわたしはいかなる人間の情熱をかきたてるヒーローでもなく、いかなる世代の証人でもない。わたしは、あなたとおなじだ。」―こうして閉じられるエンディングはまことに寂寥感に満ちている。大江自身にとって、それは同時に60年安保の敗北と終焉でもあったのだから。この作品は、ここでもレビューがそれほど多くはない。もはや、熱い共感を呼ぶことはないのだろうか。
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人間が自分の運命的な出自に対して、どこまで抗えるかの挑戦を描いた作品。 戦後期という混乱の時代だからこそ成しえた生き様は、只々鮮烈。
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青年の純粋さが突き抜け過ぎていて狂気でした。 みんな狂気。 こういう本を定期的に読まないと、気が済みません。 13.03.16
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(1971.02.04読了)(1971.01.07購入) 内容紹介 地方の山村に生れ育ち、陛下の勇敢な兵士として死ぬはずの戦争に、遅れてしまった青年。戦後世代共通の体験を描いた半自伝的小説。
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04012 02/12 戦争の終結と少年の性の目覚めが同時に起きる序章から、エロスとロゴスの対立というテーマが暗示され、後に政治的人間として生きるか、性的人間として生きるかの葛藤につながっていく。
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文学小説の面白さって共感と、更なる発見だとおもうんだけど、この本にはそれが詰まってた。 普通の大人はもう忘れてしまっているような、幼少期に感じた懐かしい記憶を忘れずに持ちつづけているという事も、作家にとって大切な要素だと思うけれど、そんな懐かしい記憶を呼び起こし、共感、更なる発見...
文学小説の面白さって共感と、更なる発見だとおもうんだけど、この本にはそれが詰まってた。 普通の大人はもう忘れてしまっているような、幼少期に感じた懐かしい記憶を忘れずに持ちつづけているという事も、作家にとって大切な要素だと思うけれど、そんな懐かしい記憶を呼び起こし、共感、更なる発見もさせてもらえて充実、満足。 内容的に時代はまるで過去のものになってしまってはいるけれど、無理なく現代に、自分自身に置き換えて読む事が出来た。
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兵隊として死ぬことを夢見ていた少年に、終戦によって刻み込まれた「自分は遅れてきた」という絶望感。日本における“ロスト・ジェネレーション”の青春、戦前派or戦中派でも、戦後派でもない狭間の世代の喪失感…。あくまで主人公の視野に映るもののみを語る主観的な文章なのに、同時にどこまでも客...
兵隊として死ぬことを夢見ていた少年に、終戦によって刻み込まれた「自分は遅れてきた」という絶望感。日本における“ロスト・ジェネレーション”の青春、戦前派or戦中派でも、戦後派でもない狭間の世代の喪失感…。あくまで主人公の視野に映るもののみを語る主観的な文章なのに、同時にどこまでも客観的な語り口が貫かれていて、そのひりひりとした緊迫感に引き込まれる。
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遅れてきた青年は、早すぎる未来に復讐を試みるが、やはり早く去りすぎた戦争という過去にはただ憧れるのみで、恨む事は永遠に無いのである。それはひとえに、青年にとっての戦争(過去)が現実に起こった事ではなく、お伽話の空想事と同じ意味合いの存在に過ぎないのであり、それ故にやはり青年は遅れ...
遅れてきた青年は、早すぎる未来に復讐を試みるが、やはり早く去りすぎた戦争という過去にはただ憧れるのみで、恨む事は永遠に無いのである。それはひとえに、青年にとっての戦争(過去)が現実に起こった事ではなく、お伽話の空想事と同じ意味合いの存在に過ぎないのであり、それ故にやはり青年は遅れてきた青年なのだ。仮にこの青年が第二次世界大戦の真っ只中に生きた青年であったとしたら、やはり青年は早く来すぎた世界大戦の時代に復讐を誓い、早く去りすぎた過去の戦争いくつかに憧れを覚えたのではないか。青年にとってすべては早すぎる訪れ、或いは早すぎる終焉を持つ出来事なのであり、己を取り巻くすべてのものに対して、己は遅れ続けるのではないか。 そしてその青年とは、この物語の主人公であり、堕胎手術の傷跡から流れる血でベッドのスプリングを錆びさせた代議士の娘であり、男相手に売春を繰り返す代議士の娘の愛人であり、私であり、あなたなのである。
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