悲しみを抱きしめて の商品レビュー
死別の悲しみへの向き合い方がテーマ。その日本的な向き合い方を探る。悲しみは解くもの。乗り越えるというよりは、悲しみを抱きしめる。そんなありよう。固く凍り付いていた悲しみが緩み流動するようになれば、生かすことだってできる。自然には循環がある。循環があるからこそ、悲しみには明日を生き...
死別の悲しみへの向き合い方がテーマ。その日本的な向き合い方を探る。悲しみは解くもの。乗り越えるというよりは、悲しみを抱きしめる。そんなありよう。固く凍り付いていた悲しみが緩み流動するようになれば、生かすことだってできる。自然には循環がある。循環があるからこそ、悲しみには明日を生きるエネルギーがあるといえる。悲しみは消えないし小さくもならない。であれば抱きしめていくのが人の生き方というもの。
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著者の主張すべてを理解できたわけではないが、日本人なりの死・死別への向き合い方があっていいのではないかという問題提起には大いにうなずける。
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世に介護福祉や医療の世界では、「患者家族に寄り添う医療・介護」という言葉が頻繁に使われる。 しかし、これらはサービスの提供側からの言葉であって、果たして患者や家族からはどうなのであろうか。 「誰が寄り添ってくれと頼んだ。安易な言葉の使用は止めた方が良い。」 そんな言葉を家族の方から頂いたことがある。 それを考えれば、グリーフケアも、提供サイドから「悲しんでいるあなたへ」という一方的な手の差し伸ばしであって、愛する者を失った者に果たして絶対に必要なのかということになる。 「愛する者が死んだら悲しい。」 そう、悲しくて当たり前なのであって、その悲しむことが立ち直る術なのでもある。 私も20年前に母を亡くしたが、今思えば母をケアしたつもりが、実は母に死に方を教わった、死にゆく者に対する姿勢を教わり心のケアをされたように思う。 死という肉体の別れを経験したはずが、実は今も生き続け対話を重ねているように思う。 「死んだらどうなるのか」 欧米人にとって、「死」は神のもとへの帰還であり、同時に凱旋であるかもしれないが、著者が示したように、日本人はどうだろうか。少なくとも同じとは言えまい。 「死」の受け止め方が違うなら、欧米の考え方である「悲嘆のプロセス論」もそのまま直輸入で使えるわけでなく、同時にグリーフケアもそのままのものであってはなるまい。 「死んだらどうなるのか」 池田晶子が著書「無敵のソクラテス」の中で記した言葉が、今は私の死への想いの原点になっている。 「うん。なんでみんな分からないことを分かっていると思い込んでいるのか。知りもしない死のことを、知っていることででもあるかのように怖がるのか。」
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烏兎の庭 第四部 箱庭 11.3.13 http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto04/diary/d1311.html#1103
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