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群れは意識をもつ の商品レビュー

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10件のお客様レビュー

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2019/08/19

モノ(個体)とコト(群れ)と解釈することによって、どのように生物が集団での動きを統制しているのか、というのが素人なりにもそれなりに理解できた一冊。あと生き物にとっての「我慢」とはなにか? というあたりもおもしろい。 あとこの我慢についての解説で、受動・能動の関係を統合したものを...

モノ(個体)とコト(群れ)と解釈することによって、どのように生物が集団での動きを統制しているのか、というのが素人なりにもそれなりに理解できた一冊。あと生き物にとっての「我慢」とはなにか? というあたりもおもしろい。 あとこの我慢についての解説で、受動・能動の関係を統合したものを「受動的能動性」として、ダチョウ倶楽部の熱湯風呂コントの「どうぞどうぞ」で説明しているのだけど、ここがちょっとわかりにくかった。 受動・能動を区別しないという考えはわかるのだけど、そもそも生物における受動がこれまでどのように定義されてきたのかというのが、自分はよくわかっていないからかもしれない。 「受動的能動性」をバークリー『受動的服従』なんかと絡めて受動・能動について考えるとおもしろそうには感じたけど。 群れとは、ただ個体が集合した「もの」ではなく、群れは群れでしかないのだなという感じ。 その「群れ」はなんだかよくわからないが社会性みたいなものが存在していてかなり複雑なんだな、やっぱりよくわからないな、というのはよくわかった。

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2018/11/05

毎日新聞の養老孟司書評によると「わかりにくい本を書く著者だったが、今回の著作はみごとにわかりやすくなっている。」とのコトだが、これまでの著作はホントに難しかったのだろうな。 群れがまるでひとつの生き物みたいに動くメカニズムを、実際の動物の群れを観察したり、コンピューター上でシミ...

毎日新聞の養老孟司書評によると「わかりにくい本を書く著者だったが、今回の著作はみごとにわかりやすくなっている。」とのコトだが、これまでの著作はホントに難しかったのだろうな。 群れがまるでひとつの生き物みたいに動くメカニズムを、実際の動物の群れを観察したり、コンピューター上でシミュレーションしたりして研究するわけだが、そんな研究をする問題意識の根底では「個体-群れ」の関係を「脳細胞-意識」になぞらえている。 群れをシミュレートしてみたモデルとして、バード・アンドロイドをもじった「ボイド」というやつがある。各個体は、周囲の個体の動きを観察して?衝突回避?速度(方向含む)平均化?群れ誘引といった原則で群れとして動く。これが著者にとってはつまらなく感じられ、「ダチョウ倶楽部」モデルを考え出す。これは、みんなが行こうとしているところに行きたがる、というちょっと複雑なモデル。個体に群れへの同調性みたいなロジックを仕込まないところがミソだとか。 さらにはカニの群れを使って時計や計算機を作ろうとしたりするのだが、段々と何をやっているのか訳が分からなくなってくる所も。すごく大事で難しいことをやっている気もするが、大したことないことを殊更むずかしく研究している気すらする。いやまあ難しい。 しかし西表島でカニの群れを観察する仕事って、なんだか憧れてしまうな。

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2014/09/25

郡司さんの本は何冊か買って読もうとしたけれど、結局最後まで読んだのは本書が初めて。とは言っても、この本についても、おそらく1割くらいしか理解していない。それでも、所々で理解できるところがあるから何とか最後まで読めた。他の本は、数十ページも読めばあとは全く理解できない。しかし、何か...

郡司さんの本は何冊か買って読もうとしたけれど、結局最後まで読んだのは本書が初めて。とは言っても、この本についても、おそらく1割くらいしか理解していない。それでも、所々で理解できるところがあるから何とか最後まで読めた。他の本は、数十ページも読めばあとは全く理解できない。しかし、何か重要そうなことが書いてあるようで、つい買ってしまう。たしか、養老先生も同じようなことを書かれていた。本書の中にもいかにも哲学的な話が多いが、ミナミコメツキガニの実験の写真とかを見ていると、なんとなく原始的な感じでちょっと微笑ましい。群れのシミュレーションについては動画でないとなかなかイメージしづらい。あとがきでは「ネットを見てくれ」と書かれているが見つけられていない。ところで、文書ボイドとはいったい何なのか。なぜ、文書なのか。面白そうと言えば、面白そうなのだが、どこからその発想が出てくるのか。本書を読んでいる間は、この「文書ボイド」ということばがなぜか頭から離れなかった。それから、ダチョウ倶楽部の受動的能動とかいう話。私自身も以前、積極的な受動ということを考えていたことがあり、興味を持って読んだ。しかし、他に良い例がなかったのだろうか? ちなみに、このペギオという名前、何か相当意味があるものと思っていたのだけれど、単なる思い付きとか。なあんだ。

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2014/03/10

大空を一個の塊となって飛ぶムクドリの群れ。それはカラスが楔形に並んで飛ぶのとはだいぶ違っている。それはさながら海中を一個の塊となって泳ぐイワシの群れのようなものだ。どちらの群れも、一個の巨大な生物然として蠢き、そこにはまるで一個の意識があるようにも見える。もちろん、ムクドリも、イ...

大空を一個の塊となって飛ぶムクドリの群れ。それはカラスが楔形に並んで飛ぶのとはだいぶ違っている。それはさながら海中を一個の塊となって泳ぐイワシの群れのようなものだ。どちらの群れも、一個の巨大な生物然として蠢き、そこにはまるで一個の意識があるようにも見える。もちろん、ムクドリも、イワシも、一羽一匹は自立した一個である。しかし、その一個一個が群れをなしたとき、その一糸乱れぬ挙動に、集団としての一個の意識はあるのか。眉唾にも聞こえるかもしれないが、実はこの問立ては、自分たちにとって、とても大きな意味を持っている。いったい、それ自体に意識を持たない神経細胞、その群れであるところの脳に意識が現われるのは何故か。蟻や、人工生命ボイド(プログラム)を使ったコンピューターシミュレーション、カニの集団渡河行動の観察を通して、「個」と「集団」、「モノ(客観的対象)」と「コト(主観的事象)」のあいだに、不断に明滅する「意識」が浮かび上がる。なお、著作よりも、実はその著者の方が面白いともっぱらのウワサ。>http://togetter.com/li/37935

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2013/11/21

実験に関しては面白いかも知れないが、その説明が全然論理的でないため、全体的に意味不明になっている。非常に残念ですね。非同期性や相互予期など、シミュレーションのための技巧でしかないものを、あたかも本質であるかのように展開するので、論点に無理があるのでしょう。

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2013/11/12

集団行動についての本かと思ったら、哲学、生物学、数学、ロボット情報学からダチョウ倶楽部までを縦横無人に駆け巡って、「ヤドカリは痛みを我慢する」など一部の内容以外は、ほとんど理解できないほど難解。少なくとも普通の新書レベルではない。 結論であるはずの、「意識は判定されるモノではな...

集団行動についての本かと思ったら、哲学、生物学、数学、ロボット情報学からダチョウ倶楽部までを縦横無人に駆け巡って、「ヤドカリは痛みを我慢する」など一部の内容以外は、ほとんど理解できないほど難解。少なくとも普通の新書レベルではない。 結論であるはずの、「意識は判定されるモノではなく、経験されるモノ・コトスペクトラムである。群れが意識を持つか、という問いは、群れが『経験される現象』であることを通して、逆に『経験されるしかない意識」というものを再認識させる問いであるといえるだろう』という本文最後の一文すら意味が分からない。 要は、群れと個体は、区別できない、という主旨でよいのか?

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2013/10/14

相当読むのが難しいですが大変示唆に富む新書です。しかも著者の名前がいい。武道において、自分と相手が一緒になってしまうみたいな話がありますが、それを、この本では「予期」と称して、この「予期」の相互作用によって、群れが形成されるとの仮説を展開していきます。正直なところ、非同期であると...

相当読むのが難しいですが大変示唆に富む新書です。しかも著者の名前がいい。武道において、自分と相手が一緒になってしまうみたいな話がありますが、それを、この本では「予期」と称して、この「予期」の相互作用によって、群れが形成されるとの仮説を展開していきます。正直なところ、非同期であるという点が「モノ」と「コト」のハイブリッド性に近づくあたりの記述は理解しきれていませんが、自己言及、差異、シニフィアンとシニフィエ、禅みたいなところを論ずる時に、群れという仕組みから出発するというのはアプローチとして有効であろうと感じるところです。しかし下北沢のB&B、うっかりこんな本が平積みされててやはり油断なりません。

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2013/11/09

相変わらず意味があるのかないのかわからないことを、 意味があるのか無いのかわからないストーリーで展開する本。 科学書でなく、SFとして面白い。 今回の本は、群司さんの本にしては珍しくわかりやすく、面白い。 例によってよくわからない考えを述べた後、 だからこうなるはずだ、とかいっ...

相変わらず意味があるのかないのかわからないことを、 意味があるのか無いのかわからないストーリーで展開する本。 科学書でなく、SFとして面白い。 今回の本は、群司さんの本にしては珍しくわかりやすく、面白い。 例によってよくわからない考えを述べた後、 だからこうなるはずだ、とかいって実際に実験orシミュレーションしたら、 ほら確かにこうなったでしょ、という郡司さんの手法は いっそ謎のカタルシスがあって、この本は特にそれが濃い。 余談: 帯に書かれた池谷先生の推薦文は、推薦文のように見えるけど、 「そういうことがわかる読者は幸せだね」と言っているだけで、 うまいこと推薦文ではない推薦文を書いている。 池谷先生の苦労が伺える。

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2013/09/18

想起とは過去の二義的な形態に過ぎない。同じく予期も、未来の二義的なものに過ぎない。時間は現在に於いて、構造的に存在してゐると謂ふべきだ。巧い言い方ではないが、過去は、謂はば引き摺りや滴りの様な形で、現在に於いて構造的に存在してゐる。若し然ふではなく、過去は想起の認識や因果の原因と...

想起とは過去の二義的な形態に過ぎない。同じく予期も、未来の二義的なものに過ぎない。時間は現在に於いて、構造的に存在してゐると謂ふべきだ。巧い言い方ではないが、過去は、謂はば引き摺りや滴りの様な形で、現在に於いて構造的に存在してゐる。若し然ふではなく、過去は想起の認識や因果の原因として存在してゐると考へては、〈鬱〉の状態では、過去は現在に直接重みの様に存在してくる事を説明できない。ただ病的な精神と見做して了ふ。現在では、此の様な考へは、有効ではなくなってゐる。 わたしが昔書いてきたことは、此所に含む事が出来る。時間の重層性な事と、段階と云ふ事だ。 cf. 意識からみた自然の時間は単線的であるが、心的な領域は、この自然からのいまだ知り得ない選択として成り立っている為に、分岐と重合を繰り返す複合的なものである http://c4se.hatenablog.com/entry/2012/05/11/212648 cf. 言語は意識の時間に継起するが、この時間は当然一単線ではない http://c4se.hatenablog.com/entry/2012/05/30/181905 cf. 以前からは想像もつかないにも関わらず、以後からは合目的に見え、又、以前迄に於ける変化の系列を、以後の観念からは全くちがう変化の観念の系列として、総体的に捉えられる、それがあたかも合目的である、そういう必然な移行を以て、〈段階〉の移行と言う http://c4se.hatenablog.com/entry/20101227/1293415883 優れた研究をたくさん紹介して呉れて有り難いが、此んなバカな概説書を書いてゐる暇が有ったら、凡庸な、ちょっとした思い付きの研究ばかりやってゐないで、まともな研究を続けて呉れれば有り難いと思ふ。理学的な研究は、其れが大したものに成るか洞うかは、或る程度以上の水準では偶然に成ってくるから。 既存の数学や理学がむつかしく見えるたいていの理由は、単に用語を覚えてゐない丈だ。既存の理学理論を理解するのに、大した頭はゐらない。興味と根気と、素直さだけが有れば好い。タネを見せられた手品と同じだからだ。新たな理論 (公理・定理) を産み出していくのは、むつかしい事がある。 わたしは郡司ぺギオ幸夫の事を、凡百な研究者でついでにバカだとしか、思ったことがない。研究に就いては、精密に追った事が無いから、其所は間違えてゐるかもしれない。わたしが見掛けてきた、郡司ぺギオ幸夫の書く一般書から逆算して見積もれば、然ふ云ふ考へに成る。また本人のWeb siteを少し覗いた限りでは、然ふ成る。「郡司ぺギオ幸夫の話は理解できない」と云ふが、何の事はない、用語の畑が違ふ丈である。わたしは幸いにも畑が近いから、彼男の話を追う事が出来る。其れで充分だと思ってゐる。 時間や因果に就いての話が有る。何の事は無い。因果グラフ (因果推論) の分野である。因果の様な順序構造に、束論と使へるかもしれないと考へるのは、想像に難くない。また、沢山やられてゐると思へる。因果グラフの話に成った時点で、グラフ理論の話はすべて使へるかもしれないのだ。 モノとコトと云ふなんとでも成る区分は、無用だとしか考へられない。わたしの見てきた範囲では、此の区分が有効だったところは一度も見た事が無い。一度もきちんと定義されたところを見た事も無い。郡司ぺギオ幸夫が此の本で言おうとしてゐるのは、生命の一瞬の位置と速度に対して、一種の加速度を考へる事に当たってゐる。生命のラグランジアン (Lagrangian) に対して力場を考へると言ってゐるのではない。圏と関手に対して自然変換の様なものを考へる事に当たってゐる、と想定出来る。だから、圏論を使へるだらうと思ふ事は想像に難くない。また、既にやられてゐる。此の辺りは、郡司ぺギオ幸夫たちの功績だと思ふ。 http://c4se.hatenablog.com/entry/2013/09/18/015653

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2013/08/26

「毎日新聞」(2013年8月25日付朝刊)で、養老孟司先生が紹介していました。 (2013年8月26日)

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