建材工場 の商品レビュー
生物の構造や自然界の現象に対して、「デザイン」という言葉が使われることがあるが、それは間違えた、安易な使い方だと思っている。デザインというのは、人間が、ある意図や目的を持って考え、設計や計画をして実施されたもので、あくまで人為的なものである。自然や生物は文字通り自然に「そうなった...
生物の構造や自然界の現象に対して、「デザイン」という言葉が使われることがあるが、それは間違えた、安易な使い方だと思っている。デザインというのは、人間が、ある意図や目的を持って考え、設計や計画をして実施されたもので、あくまで人為的なものである。自然や生物は文字通り自然に「そうなった」のであって、「そうした」のではない。 工場というのは人間が人為的に作ったものである。おそらくはそれなりに設計されていると思われる。しかし結果的に、これらの生物的、有機的な様相はどうだろう。血管のように縦横に張り巡らされたパイプ。臓器の隙間を縫うように繋がっている通路、無骨なスイッチが並ぶ制御パネル、薄暗い空間、燃え続ける炉、埃、錆、へんな匂い。これらは本当にデザインされた人工物なのだろうか、それとも人間の営みの結果自然にできていた有機物なのだろうか。 しかしそんなカオスのような場から出荷される製品は、産まれたばかりの新生児のようである。体内のような製造工程は感じられないツルンとした顔をしている。世界のどこかで迎えられ、製品としての輝かしい生涯をスタートさせる。そしていつの日か、その役割を終える日がやって来て、彼らは破棄され、粗雑に扱われ、何割かはリサイクルに回される。工場に戻ってきたときには、吹き込まれた命は姿を消し、単なる屍体として横たわる。 輪廻転生に例えるなら、死んでから次に生まれ変わるまでのつかの間の時間。ここは天国なのか地獄なのか。工場は、そういう役割も担っている。 それは人間の営みが生み出したものである。やはり有機的と思わざるをえない。ぐちゃぐちゃとして、決してキレイとも言えない工場がどうしても魅力的に見えるのかは、人工物と有機物、大げさに言えば生と死みたいな矛盾を孕んでいるからではないだろうか。
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