一科学史家の自伝 の商品レビュー
中山茂さんは科学史家としては、国内外で著名な人である。その中山さんが大学をやめ、外国の大学のネット環境を使えなくなり、さらにガンで入院しなければならなくなって、これしかできないと始めたのがブログでの自伝の執筆である。だから、全体に読みやすいが、文章が概して冗長でしまりに欠ける。...
中山茂さんは科学史家としては、国内外で著名な人である。その中山さんが大学をやめ、外国の大学のネット環境を使えなくなり、さらにガンで入院しなければならなくなって、これしかできないと始めたのがブログでの自伝の執筆である。だから、全体に読みやすいが、文章が概して冗長でしまりに欠ける。まあ、これは仕方ないか。ぼくは多少科学史にも興味があるし(愛知大学で開かれた1998年の科学史学会で講演もしている)、中山さんの本や論文からいくらか学恩を蒙っているから、500ページ、4500円もする本書を買った。実際本書はいろんな意味で面白かった。中山さんは東大で天文学をやったあと平凡社に勤めたが、学問への情熱さめやらず、フルブライトの奨学金を変則的にもらってハーバードに留学、そことイギリスのニーダム、京大の藪内清さんのところで学んで4年で学位をとったあと、日本に帰り、東大に就職して、国内外で数多くのシンポジウム、プロジェクトを組織し、多くの著書を書き、編集してきた。しかし、本書が他書と違うのは、中山さんが東大でなぜ万年講師であったかを本人の口から語っていることである。「一方聞いて沙汰するな」と言われるように、これは一方から聞いただけでは、どちらがどうとは言えないが、本書には、立派な業績をあげ、海外から何度も招待講演を受ける華やかな中山さんとは対照的に、東大で不遇の地位に甘んじてきた中山さんの怨念、よく言えば不屈の精神がはしばしから感じられるのである。しかし、一方で、中山さんの人物評もそれなりに物議をかもすような書き方である。たとえば、中山さんの一番弟子である吉岡斉さんは、現在脱原発の論客の一人だが、この人に対する批評は、吉岡さんには「嘲笑僻があり、皆怖がって付き合わないところを、僕は彼の嘲笑に耐えた」(p310、)である。吉岡さんは本書の解説まで書いている人なのにこの批評である。中山さんが本来属したかった科学史研究室のIさんには「少し足が不自由であったが、そのハンディに克とうとして強い競争心をもっていた」「やたらに教科書のような本に出ている知識をひけらかすが、延々とのべられても僕のようなプロは退屈してしまう」(p186)とか。後者はまあいいとしても前者はどうかなと思う。一事が万事だから、本書全体でも人物評は面白いことは面白いが、言われた本人はあまりいい気はしまい。たいていはまだ実在の人物であるし。ぼくは上でも述べたように科学史関係の(啓蒙)書はいくら読んでいるので、本書に出て来る人で名前を知っている人はけっこういる。そんな人たちの逸話もけっこう面白い。たとえば、中山さんは今から50年前に海外学会へ三枝博音さんを推薦した。三枝さんは学会の会議でまとめ役としてはりりしいのに、海外旅行となるとずっと中山さんにもたれかかってきたそうだ(p215)。(これはぼくが洋服屋で妻にもたれかかるのと似ている。)あるいは、イギリスの科学者運動の案内をしてくれたSさんは「彼は僕より英語はずっと下手で…あの英語でよくも心臓強く多くの人とわたりを付け」などと書く。中山さん自身、当初は英語帝国主義に相当悩まされたのに。中山さんは80を過ぎてガンの宣告を受け、入退院をくりかえしている。それも、「がんが発見されるまで体はどこも悪くなかった。」ところが入退院をくりかえすことで「だんだん衰え、衰弱や苦痛が多くなって」行っている。今風の言い方をすれば、80を過ぎてがんになるのは自然なことで、そのまま質の高い生活を送りながら死を迎えるのがベストだった。がんを早期発見して手術という発想が今風でない。なぜ疑問に思わないのだろう。『大往生したけりゃ医療とかかわるな』(中村仁一)とか『どうせ死ぬなら「がん」がいい』(中村・近藤誠)という本を知らないのだろうか。でも、中山さんは医者の反対を押し切って奧さんと世界一周旅行に出かけた。それは賢明な選択だった。
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